大判例

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名古屋高等裁判所 昭和63年(け)11号 決定

《理由目次》

第一異議申立の趣旨及び理由

第二当裁判所の判断

一確定判決の認定した罪となるべき

事実の要旨及び原決定の骨子

1 確定判決の認定した罪となるべき事実の要旨

2 原決定の骨子

二証拠の新規性について

三証拠の明白性の判断について

四所論のいう「証拠構造」について

五証拠の明白性に関する個別的な異議申立理由について

1 ぶどう酒の到着時刻について

(一) ぶどう酒の到着及びその時刻の意義

(二) 所論の援用する新規性のある証拠について

(1) 上野保健所長及び三重県警察本部の報告について

(2) Aの供述について

(3) Bの供述について

(三) ぶどう酒の到着時刻の時間的範囲について

(1) ぶどう酒はCが一人でいるときDから受け取った可能性が強いという所論について

(2) 運び手グループの変更後の供述の信用性について

(四) ぶどう酒の到着時刻午後五時三分ころとその前後のE、D、請求人らの行動あるいは遭遇関係との整合性について

2 一〇分間問題について

(1) Bの供述について

(2) Fの供述について

(3) 請求人の供述について

(4) Eの供述について

(5) Gの供述について

(6) 請求人とEとの行動を時間を追って再現してみると請求人が同行したのはEの二回目の公民館行きのときであることが明らかとなったとの主張について

3 四ツ足替栓上の傷痕について

(1) 本件替栓上の傷痕は人の歯痕であるか否かについて

(2) 本件替栓上の傷痕は請求人の歯牙によるものでないと断定できるか否かについて

(3) 原決定が減殺されたとする三鑑定の証明力について

4 自白の任意性、信用性について

(一) 自白の任意性について

(二) 自白の信用性について

(1) 秘密の暴露及び客観的裏付け等について

(2) 自白の具体的内容の合理性等について

ア 犯行の動機に関する供述について

イ 殺意の発生時期等に関する供述について

ウ 犯行の計画に関する供述について

エ 準備行為等に関する供述について

オ 開栓行為に関する供述について

カ 開栓・混入の機会に関する供述について

キ 竹筒焼毀行為に関する供述について

ク 本件農薬の瓶の投棄行為に関する供述について

ケ 農薬の色及びぶどう酒の変色に関する供述について

コ その他

第三結論

主文

本件異議の申立を棄却する。

理由

第一異議申立の趣旨及び理由

本件異議申立ての趣旨及び理由は、①弁護人吉田清が作成した昭和六三年一二月一九日受付の異議申立書、②弁護人吉田清、同鈴木泉、同神山啓史、同後藤潤一郎、同加藤美代、同小林修、同巽昌章、同宮原哲朗、同豊川正明、同小池義夫、同猪子恭秀、同高見澤昭治が連名で作成した平成元年八月二九日受付の補充意見書(その一)、③弁護人吉田清、同村木一郎ほか弁護人八名が連名で作成した平成二年四月二〇日受付の補充意見書(その二)―傷痕意見書、④弁護人吉田清、同岡崎敬、同平場安治ほか弁護人一一名が連名で作成した平成二年一〇月五日受付の補充意見書(その三)―自白調書に関する意見書・第一分冊、同第二分冊、⑤弁護人吉田清、同塚越正光ほか弁護人九名が連名で作成した平成三年五月一六日受付の補充意見書(その四)―一〇分間問題に関する意見書、⑥弁護人平場安治が作成した同年九月二〇日受付の意見書、⑦弁護人吉田清ほか弁護人一〇名が連名で作成した同年一〇月一八日受付の補充意見書(その四の二)、⑧弁護人吉田清が作成した平成四年二月一四日受付の補充意見書(その五)―農薬の色に関する意見書、⑨弁護人吉田清、同野嶋真人、同西田雅年ほか弁護人一〇名が連名で作成した同年九月二五日受付の補充意見書(その六)―捜査過程批判意見書、⑩弁護人吉田清、同谷口彰一、同中村亀雄、同田畑宏、同松本篤周、同杦田勝彦ほか弁護人一五名が連名で作成した同年一〇月一六日受付の補充意見書(その七)―最終意見書に、これに対する意見は名古屋高等検察庁検察官検事子原英和、同塩澤剛連名の意見書に記載されたとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

第二当裁判所の判断

一確定判決の認定した罪となるべき事実の要旨及び原決定の骨子

所論の検討に先立ち、確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨及び原決定の骨子を挙げることとする。

1  確定判決の認定した罪となるべき事実の要旨

請求人は、農業のかたわら日稼ぎなどに従事し、妻子と共に暮らしている者であったが、昭和三四年八月ころから、当時同じ部落に居住し、夫に死別して間もないHと情交関係を結び、交際していた。しかし、昭和三五年一〇月二〇日ころの夜、Hと逢引した直後一緒に歩いていたところを妻Iに発見され、以後夫婦仲が円満を欠き、喧嘩口論が絶えず、時に暴力を振るわれたIにおいて夫婦別れを考えるようになり、一方Hにおいても、Iから責められたり、部落の婦人から嫌味を言われたりして、請求人に会うのを止めようと言い、昭和三六年二月二〇日ころ(以下特に断らないかぎり同年の日付を指す。)には、情交関係を絶ちたい旨申し向けるようになった。こうして、被告人は三角関係の処置に窮し、家庭内におけるIの冷淡な仕打ちに腹を立て、同女を殺害しようと考えるようになり、一方、Iとの夫婦仲が悪化した原因にHとの関係があり、同女から関係を絶ちたいと申し向けられたことにあきたらないで、いっそのこと両名を殺害して、右三角関係を一挙に清算すれば、すべてがすっきりすると考えるようになった。そして、右二人を殺しても自分の犯行と分からないようにする方法や場所等につき、あれこれと考えているうち、たまたま三月二六日になって、かねて自分らが居住する三重県と奈良県にまたがる葛尾部落の生活改善グループ「三奈の会」の年次総会が、同月二八日夜地区の公民館葛尾分館(以下「公民館」という。)で開かれること、その後懇親会が行われ、場合によっては、その席で、女子会員らのためにぶどう酒か酒に砂糖を入れた飲み物位は当然用意されるものと考え、この機会に、女子会員用の飲物に、予て買い受けて所持していた有機燐製剤の農薬ニッカリンT(一〇〇cc瓶入り、以下「本件農薬」ともいう。)を入れて飲ませることを思い付き、この方法によれば、酒好きなIとHは本件農薬入りの飲物を飲んで死んでしまうであろうし、この機会だと誰の犯行か分からなくて済むだろうなどと思い巡らした後、その前日の夜自宅の風呂場の焚口前の通路付近で、長さ約七センチメートル、深さ約六センチメートル、直径約二センチメートルの節付竹筒一個を作り、その竹筒の中に本件農薬を入れ、新聞紙の破れで蓋をして用意しておき、翌二八日午後五時二〇分ころ、右竹筒を身に着け隣家の「三奈の会」会長のJ方に立ち寄ったところ、同家玄関上り口の小縁に、当夜の懇親会用の飲み物として1.8リットル入りの瓶詰ぶどう酒一本(以下「本件ぶどう酒」ともいう。)と同じく瓶詰日本酒二本が用意されているのを知り、ここにおいて、右ぶどう酒が女子会員用の飲物として出されることを察し、右ぶどう酒内に本件農薬を入れようと決意した矢先、たまたまその場に居合わせた右Jの妻Cから、右ぶどう酒などを会場の公民館へ運ぶよう依頼されるに及び、直ちにこれらを公民館に運び、自己より一足遅れて同館に入ってきた女子会員Eが、雑巾を取りに右J方に引き返し、会場内に自己以外誰もいなくなったことを奇貨として、そのすきに乗じ、I、Hに止まらず、他の女子会員らにおいて、死亡するかもしれないことを十分認識しながら、右ぶどう酒瓶の口に装着されていた耳付冠頭を火ばさみで開け、その下に装着されていた四ツ足替栓を、自己の歯で噛んで開けた。そして、その中に、竹筒内の本件農薬を四ないし五cc入れ、四ツ足替栓を元どおりに被せ、包装紙で包み直しておき、同日午後八時ころ総会が終わり、まもなく懇親会に移った席上に、本件農薬入りのぶどう酒一本を出させ、その全量を、その場に居合わせた女子会員であるI、Hを含む二〇名に対し、各自の湯飲み茶碗に分け注いで、これを飲ませようとし、その結果、これを飲んだI、Hを含む五名をして、それぞれ有機燐中毒のためまもなくその場で昏倒、死亡させて殺害の目的を遂げ、一二名に対し、早急に治療を加えた結果、加療約一〇日ないし二〇日を要する有機燐中毒症の傷害を負わせたにとどまり、飲まなかった三名に対し、何等の中毒症も起こさせず、右一五名に対し、殺害の目的を遂げなかった。

2  原決定の骨子

請求人が再審請求審(以下「原審」という。)に提出した証拠のうち新規性が認められた証拠(以下「新証拠」ともいう。)について、新証拠それ自体と原審で取り調べたその余の各証拠と請求人に対する名古屋高等裁判所昭和四〇年(う)第七八号殺人、同殺人未遂被告事件(第一審津地方裁判所)において取り調べられた証拠(以下「旧証拠」ともいう。)とを対比検討し、新証拠に関連する旧証拠の証明力が新証拠により多かれ少なかれ減殺されると判断されたのは、旧証拠中の柏谷一弥ほか三名共同作成の鑑定書(五分冊一四九五丁、以下特に断らないかぎり確定記録の分冊及び丁数を示す。)同古田莞爾作成の鑑定書(一四分冊四五六六丁)、松倉豊治作成の鑑定書(一九分冊六〇二〇丁)及び右鑑定人らの供述等(以下書証と供述を合わせて「柏谷鑑定」、「古田鑑定」、「松倉鑑定」などという。また、総称して「三鑑定」ともいう。確定判決はこれらの証拠により本件四ツ足替栓(証拠物一九号、本件犯行現場とされる公民館内の囲炉裏の間の西隣の四畳半の間の火鉢の灰の中から発見された物で、確定判決において本件ぶどう酒に装着されていたと認められた物、以下「本件替栓」ともいう。)上の傷痕は、請求人の歯牙によって印象されたものであるとの間接事実を認定した。)であるが、右三鑑定とも本件替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾を生じないという限度ではなお証明力を有し、この点を前提に旧証拠と新証拠を含む原審で取り調べた各証拠とを総合して検討してみても、確定判決の認定判示する「罪となるべき事実」に合理的疑惑は生ぜず、新証拠には再審を開始すべき証拠の明白性が認められない。

二証拠の新規性について

所論は、要するに、原決定は、証拠の新規性について、後記の証拠の明白性の判断をするに当たって証拠の総合評価を誤らしめることになるような狭い解釈をしており、違法である、というのである(異議申立書六丁以下、補充意見書(その七)四頁以下)。

しかし、原決定は、請求人が原審で提出した各証拠の新規性に関し、同一人の供述については、旧証拠中の供述との間に実質的差異があると判断される場合に初めて新規性を具備すると認められるとし、全部実質的差異のあるもの、一部実質的差異のあるもの、全部実質的差異のないものに、また、新聞記事等については、旧証拠中の新聞記事等の内容を検討し、実質的差異のあるものとないものとに分類して、差異のあるもの及び差異のある部分についてのみ新規性を認めている。そして、原決定の骨子で指摘したように新規性があるとした証拠それ自体だけを判断の資料としているのではなく、これとその余の新規性を具備するとはいえないとした各証拠と旧証拠とを対比検討した上で証拠の明白性を判断しているのであり、いいかえると、原審で取り調べた証拠の全てが判断の資料となっているのであるから、原決定が証拠の新規性を解釈するにつき所論指摘のように狭い解釈をしているとはいえない。また、同様の理由により、原決定が、供述の一部に実質的差異があると認める場合に、その部分にのみ新規性を認めているからといって、供述の信用性を評価するに当たり、供述の全体の流れや供述全体における位置付けを考慮することができないことになるとはいえない。所論は失当である。

なお、所論の中には、原決定は同一人が別の機会に別の情況下で同種の供述をしたことが情況証拠として意味がある場合にも新規性を具備していないと判断しているのは違法であるというような点があるが、同一人の同種の供述が新規性を具備していなくとも、右に述べたように、これを旧証拠と対比検討するのであるから、情況証拠として独立の価値がある場合は、それに応じた判断をすることになるので、所論は理由がない。

所論は採用できない。

三証拠の明白性の判断について

所論は、要するに、原決定は、新証拠のみをもって確定判決の有罪認定を覆すことができなければならないとする孤立評価説を取り、新規性があるとした証拠あるいは証拠の一部の信憑性を、その証拠あるいはその一部についてのみ判断し、全体の証拠と対比した総合評価をしておらず、判例(最一小決昭和五〇・五・二〇刑集二九巻五号一七七頁、最一小決昭和五一・一〇・一二刑集三〇巻九号一六七三頁)でも明らかになっている「当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価すべきである」との基準に違反している、というのである(異議申立書八丁裏以下、補充意見書(その七)四頁以下)。

しかし、原決定は、証拠の明白性が認められるかを判断するために、新証拠それ自体についてのみ検討するのではなく、これと原審で取り調べたその余の各証拠と旧証拠とを対比検討して新証拠の証明力を吟味したうえ、新証拠がそれと有機的に関連する旧証拠の証明力にいかなる影響を及ぼしているかということを検討し、右検討により旧証拠中の証拠の証明力が新証拠によって減殺されたということが明らかになった場合でも、確定判決の認定判示にかかる「罪となるべき事実」について、旧証拠と新証拠を含む原審において取り調べた各証拠とから合理的疑惑が生ずるか否かに関して吟味、検討をするのが相当である旨説示している。そうすると、原決定の明白性の有無に関する判断方法は、まさに新証拠と他の全証拠とを総合的に評価するものであって、新証拠それ自体についてのみ証明力を検討するものではない。したがって、原決定は、所論のいう孤立評価説をとっているものでなく、所論引用の判例に違反するものでないことは明らかである。

所論の中には、原決定は、新規性があるとした供述の一部の信憑性を、新規性があるとしたその部分についてのみ判断しているとか、新証拠が旧証拠に反するだけで新証拠を信用できないとしているとか、同一人の供述が控訴審と原審との双方に存在する場合、両者の供述にくいちがいがないというだけでその供述が真実だとみなしているなどというような点がある。

しかし、原決定は、新証拠のみならず、原審で取り調べたその余の証拠及び旧証拠の全てを総合的に検討した上で、請求人が殺意をもって本件ぶどう酒に本件農薬を混入したという事実認定に合理的な疑いが生じるかどうかを判断していることは、前記の説示の内容からはもちろん後記の証拠の明白性に関する個別的な異議申立理由について説示するところからも明らかである。所論は、原決定が右総合的に判断したところを示すに当たって用いた表現の一部を全体から切り離して取り上げ、非難するにすぎないものである。

所論は採用できない。

四所論のいう「証拠構造」について

所論は、要するに、確定判決の有罪認定の「証拠構造」は自白を除いた証拠による認定という構造であり、その決定的な根拠は本件ぶどう酒の四ツ足替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたという間接事実であるところ、原決定が、新証拠により右間接事実は動揺し、「請求人の自白調書を除外した爾余の証拠だけでも請求人が本件確定判決判示のとおりの犯行をしたと断定するになんら支障がないとした本件確定判決の判断には賛同できない。」として、控訴審がとった有罪認定の「証拠構造」を否定しておきながら、自白と補強証拠という自白中心の認定という「証拠構造」に組み替え、かつ、右間接事実を立証するはずの鑑定等の証拠の証明力が大幅に減退したとしながら、自白の証明力をかさ上げして、請求人の有罪を維持したのは、違法であり、かつ、証拠構造の組み替え及び自白の証明力のかさ上げを禁じる判例(最一小決昭五〇・五・二〇刑集二九巻五号一七七頁、最一小決昭五一・一〇・一二刑集三〇巻九号一六七三頁)に違反するなどという(補充意見書(その七)三〇頁以下)。

よって、検討する。

なるほど、確定判決が、自白を除いた証拠によって数多くの間接事実が認められ、自白調書をまつまでもなく本件は請求人の犯行であったと断定するになんら支障がないとしていたところ、原決定は、新証拠により、本件ぶどう酒の四つ足替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたという間接事実は動揺したとして、本件確定判決の右判断には賛同できないとしながら、旧証拠を含む原審で取り調べた各証拠とを総合して検討しても、その余の間接事実に自白を併せて総合判断すれば、確定判決の犯罪事実の認定に合理的疑惑は生じない、つまり新証拠は全て証拠の明白性が認められないとしている。

しかし、確定判決は、請求人を有罪と認定するのに、自白を除いた証拠だけでも証拠として十分であるとはいっているが、その判断の中には、自白の任意性、信用性を否定したり、これに疑いがあるとの趣旨は含まれておらず、請求人の自白をも有罪と認定するための有力な証拠としていることはその判文に徴し、明らかである。

また、本件四ツ足替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたという間接事実を請求人が有罪であると認定するについて欠くべからざる重要な決定的根拠としているものでもないことはその判文に徴し明らかであり、他に十分な根拠がないともしていない。そして、右傷痕が請求人の歯牙によって印象された旨の前述の古田鑑定、松倉鑑定等の証拠価値が確定判決当時に比べ大幅に減退し、そのため前記間接事実の認定に動揺をきたすとしても、これによって直ちに確定判決のその余の間接事実ひいて犯罪事実の認定に合理的な疑いが生じる関係にあるものでないことは明らかである。

したがって、原決定が、古田鑑定、松倉鑑定等の証明力は大幅に減殺され、請求人が本件ぶどう酒瓶の四つ足替栓を歯で噛んで開けた事実を直接証明する証拠にはならないとしながらも、請求人に犯行の動機があり、請求人にしか本件ぶどう酒に有機燐製剤の農薬を混入する機会はなかったことなどの右間接事実から独立した間接事実の認定の根拠となった各証拠及びこれらに裏付けられた請求人の自白に徴し、請求人が有罪であることに合理的な疑惑は生ぜず、新証拠に明白性は認められないとして、再審請求は理由がないとしたことは、所論のいう証拠構造の組み替え及び自白の証明力のかさ上げに当たるか否かは別として何ら違法なものではない。

所論の援用する判例は、所論にいわゆる証拠構造の組み替え及び証明力のかさ上げを禁ずる旨を明示しているものではないことはもとより、その趣旨を含むものであるとはいえず、原決定が判例に違反するとはいえない。

所論は援用できない。

なお、所論の中には、以下のようにいう点がある。

一審で無罪となった請求人を控訴審で有罪とし、しかも、死刑に処した確定判決は、①請求人を二重の危険にさらしたもので憲法三九条に違反し、②有罪判決を受けた者が事後に事実の再審理を受ける権利、すなわち、控訴権を奪うもので憲法三一条に違反しており、かつ、事実認定の点でも重大な疑惑を内包するものであるから、本件再審事由を検討するについては、「証拠の新規性」にしても証拠の証明力に影響を与える程度の新規性で足りると解すべきであり、「証拠の明白性」にしても新証拠が直ちに確定判決に影響を及ぼすものでなくとも確定判決の誤謬性を推測させるものであれば足りると解すべきであるのに、原決定はこれとは異なり、「証拠の新規性」「証拠の明白性」の程度をこれより厳しく解釈して、再審請求を棄却したのであって、これは不当である、と(平成三年九月二〇日付意見書)。

しかし、確定判決の手続が憲法に違反しているという所論①、②は、いずれもそれ自体として理由のないものであることは、確定判決に対する上告についてなされた判決(最高裁昭和四四年あ第二五六〇号同四七年六月一五日第一小法廷判決)の示しているとおりである。

すなわち、

①について

いうまでもなく、何人も同じ犯罪について、二度以上犯罪の有無に関する判断を受ける危険にさらされるべきものではないが、右危険とは、同一の事件においては、訴訟手続の開始から終結に至るまでを継続した一つの危険とみるのを相当とし、下級審における無罪又は有罪判決に対し、検察官が上訴をなし有罪又はより重い刑を求めることは、被告人を二重の危険にさらすものではなく、憲法三九条に違反して重ねて刑事上の責任を問うものではないことについては、所論も指摘するとおり、最高裁の判例(最大判昭二五・九・二七刑集四巻九号一八〇五頁)が存在する。当裁判所も右判例と同意見である。所論のように、二重の危険を英米法と同一に解して、一審で無罪とされた者について検察官上訴を認めることは被告人を二重の危険にさらすものであると解しなければならないものではない。

②について

第一審で無罪となり控訴審で初めて有罪になった場合には、ことがらの性質上、第一審で有罪になった場合と比較して、有罪判決に対する不服申立の回数が減るが、だからといって憲法三一条に違反するものではない(最大判昭和三一・七・一八刑集一〇巻七号一一四七頁、最大判昭和三一・九・二六刑集一〇巻九号一三九一頁、最二小判昭和三二・三・一五刑集一一巻三号一〇八五頁、最大判昭和二三・三・一〇刑集二巻三号一七五頁参照)。被告人が争うべきものは、起訴にかかる公訴事実であって、これについては、被告人は第一審から争うことができるのであり、検察官が控訴した以上、控訴審においても争うべき論点は事実問題を含めて争うことができるのである。記録に徴すると、請求人は、第一審のみならず、控訴審においても、所論が指摘する自白調書の任意性、一〇分間問題等重要な論点について、主張立証を尽くしており、いずれの審級においても慎重な審理がなされていることが明らかであり、所論がいうように重要な論点について十分防御することができなかったとは認められない。

そして、所論にかんがみ、検討しても、確定判決が事実認定の点で重大な疑惑を内包するものであるとは認められず、本件が第一審で無罪、控訴審で原判決破棄有罪死刑の事案であるからといって、それだけで「証拠の新規性」「証拠の明白性」について所論のような基準によって判断すべきものとはいえない。また、確定判決の事実認定に合理的疑いがあるといえないことは、後に示すところにより明らかである。

所論は採用できない。

五証拠の明白性に関する個別的な異議申立理由について

1  ぶどう酒の到着時刻について(異議申立書二六丁以下、補充意見書(その一)、同(その七)一三一頁以下、確定判決二九丁裏第二、原決定一八丁)

所論は、要するに、本件ぶどう酒が三奈の会会員のD(以下「D」ともいう。)によりJ(以下「J」ともいう。)方に届けられ、その妻C(以下「C」ともいう。)に手渡された時刻は、K(以下「K」ともいう。)及びL(以下「L」ともいう。)がJ方に訪ねてきた午後三時ころよりも前であって、Cが一人で受け取った可能性が強く、そうすると、そのころから請求人以外の何者かが農薬を入れる機会があったのに、LがJ方から自宅に帰るのを途中まで見送って行ったC及びKらがJ方に戻った直後の午後四時四五分ころから午後五時三、四分ころまでの間(以下「ぶどう酒の到着時刻」という。)であると認定した確定判決を肯認した原決定は不当である、というのである。

所論は、その論拠として、

新規性のある①三重県上野保険所長作成の「食中毒発生詳報について」と題する書面(原決定別表第一の46)、三重県警察本部資料(原決定別表第四の5)、②「A対話反訳」と題する書面(原決定別表第一の42)、③Bの原審証言(原決定別表第二の15)、ビデオテープに収録された同女の発言(同別表第四の7、8)を援用し、

右新証拠を加え、原審で取り調べたその余の各証拠と旧証拠を総合評価すれば、

確定判決の事実認定及びこれを肯認した原決定の判断の根拠となっているぶどう酒をJ方に運んだ側の人物(運び手グループ)の供述(捜査段階の変更後の供述)は信用できないし、仮に、ぶどう酒の到着時刻を原決定が認定する午後五時三分ころであるとすると、その前後のD、請求人、E(以下「E」ともいう。)、Mらの行動あるいは遭遇関係と符号せず、

原決定の判断は誤りである、というのである。

よって、検討する。

所論の中には、確定判決がぶどう酒の到着時刻を午後四時四五分ころから五時三、四分ころであると幅をもたせて認定しているのに、原決定が午後五時三分ころであったと特定して認定しているのは違法であるというような点があるが、原決定は、再審請求審の構造に照らしても、また、その文言に徴しても、自ら事実を認定しているのではないのであって、請求人が援用する前記新証拠が旧証拠のうち、ぶどう酒到着時刻の終期が午後五時三分ころであったという点に関するものの証明力を減殺していないと判断しているにすぎないのである。所論は失当である。

(一)  ぶどう酒の到着及びその時刻の意義

ぶどう酒到着及びその時刻は、罪となるべき事実そのものではない。すなわち、確定判決の罪となるべき事実として認定されているわけではない。

確定判決は、無罪とした第一審判決を審査するにあたり、第一審判決が右時刻をC、KらがLを見送るためにJ方を出発する前の午後四時以前であったとして、毒物混入の機会は請求人が公民館にただ一人となった一〇分間しかないとは認められないとしたのに対し、右時刻を午後四時四五分ころから五時三、四分ころまでの間であると思料されるとして、毒物混入の機会は請求人が公民館にただ一人となった一〇分間しかないという間接事実の一つの根拠としているのである。仮に、新証拠を加えると、右到着時刻の終期を多少遡らせるのが相当であることが明らかになったとしても、そのことによって右間接事実が揺らがないかぎり、請求人がその機会に毒物を混入した事実の認定に合理的な疑いが生ずるものではなく、証拠の明白性はないのである。

(二) 所論の援用する新規性のある証拠について

(1) 上野保健所長及び三重県警察本部の報告について

所論の援用するのは、三重県上野保健所長作成の「食中毒発生詳報について」と題する書面(三月三〇日付、原決定別表第一の46)の「DがJの命によりO酒店から本件ぶどう酒を購入したのは本件事件発生の当日の午後二時過ぎのことであった」との報告部分、三重県警察本部資料(原決定別表第四の5)の「Dが・・午後二時ころO酒店より清酒二本、ぶどう酒一本を受取り、同二時半ころ、J会長宅前で道端に居合わせた会長の妻Cに手渡した」との報告部分であるが、いずれもその根拠となる資料の摘示もその添付もないのであって、証明力が十分なものとはいえない。むしろ、それらは、Dら運び手グループが後に記憶違いとして変更することになる供述に基づいて作成された疑いが強く、関係資料を十分調査して作成されたものとは認められない。したがって、これらに証拠価値はないとした原判断は相当である。

(2) Aの供述について

所論の援用するのは、弁護人らが本件発生後一八年余を経て昭和五四年五月葛尾に出掛けて聴取した録音テープを反訳した「A対話反訳」と題する書面(原決定別表第一の42、原審記録八分冊一八四五丁以下)にあるJの母Aの「ぶどう酒到着時刻は三時ころ」という供述記載であるが、この供述は、その前後の供述との脈絡が明瞭でなく、また、その当時の状況を具体的かつ明確に述べて時刻を割り出したものではないこと、更にAの年齢(明治三三年生れ)等にかんがみると、保持されていた記憶に基づいて供述されたものとはいえず、また、Aは、4.18検面(五分冊一二九六丁以下)ではCがKと共にLを見送るために外出した後CがJ方に戻ってきてからのことである旨供述しているところ、後記((三)(2))のとおりCがKと共に戻ってきたのは早くても午後四時四五分ころであったと認められることに照らしても、信用することができない。なお、この供述に引き続いてなされた「ぶどう酒が小縁に置いてあった時間が二時間くらいであった」という供述も、その供述の経緯からいっても、また、Aが昭和五五年九月原審において「弁護士さんからそうではないかといわれて答えただけで、しっかりした時間は記憶していない」と証言していることからいっても(原審記録一三分冊三三八六丁)、誘導に基づき不用意に供述されたものと認められるのであるから、原決定が、Aは質問の意味を十分理解せずに不用意に供述したもので信用性がないとしたのは相当である。

(3) Bの供述について

所論は、ぶどう酒が当日午後三時以前にJ宅に届けられ小縁に置かれたことを前提にし、Bの①「便所に行く前にぶどう酒がなかった」(原決定別表第二の15、昭和六〇年九月証人)、②「便所から台所に戻るとき小縁に置かれていたぶどう酒の近くにCがいるのを見た」(同別表第四の7ビデオテープ一巻東海テレビ放送株式会社制作、昭和六二年六月放映、同別表第四の8ビデオテープ一巻中京テレビ放送株式会社制作、昭和六三年三月放映)との供述を援用し、これは、ぶどう酒がJ方に届けられ、小縁に置かれた後、一時別の場所に持って行かれていたことを示唆するものである、という。

しかし、右前提は後に示すとおり認められない上、Bの原決定別表第二の15のうちには「便所に行く前にぶどう酒がなかった。」旨の供述はなく、ただ「見ていない」といっているにすぎない(原審記録一五分冊四〇六八丁、四〇八四丁)のである。また、原決定別表第四の7、8のうちの小縁に置かれていたぶどう酒の近くにCがいたという右供述は従来Bが供述していない事実であり、右の時期に突然、右Cの行動を思い出すに至った契機等が不明であり、右第二の15においても一言も触れられていない。これらに徴すると、原決定が、Bの右各供述を信用できないとしたのは相当である。したがって、所論の援用する各供述に基づいて、Bが便所に行っていた時点で本件ぶどう酒が一特別の場所に持って行かれていたと推認することはできない。

以上のとおり、右の新規性の認められた各証拠はそれ自体証明力が極めて乏しいものであるが、これとこれ以外の原審で取り調べた証拠と請求人が当審で提出した各証拠とを旧証拠に併せて総合評価しても、原決定が、所論の新証拠が無罪を言い渡すべき明白な証拠とはいえないとした判断に誤りがあるとは認められない。所論にかんがみ、以下に検討の結果の要点を説明する。

(三) ぶどう酒の到着時刻の時間的な範囲について

(1) ぶどう酒は、Cが一人でいるときDから受け取った可能性が強いという所論について

ぶどう酒をDから受け取ったCは本件により死亡している。

しかし、Cの義妹Kは、Cの側にいてCが日本酒二本、ぶどう酒一本を受け取るのを見て、そのうち一本をCから受け取った、ぶどう酒を受け取った時期は、当日、お産のために実家のJ方に帰ってきた自分を送ってきた義母Lが自宅へ帰るのを名張市家野所在の魚商山下芳男方付近まで見送り、実家に戻ってきた後であった旨捜査及び公判段階を通じて一貫して供述している(四・一八検面四分冊一一三二丁、四・一一員面七分冊二〇〇三丁以下、第一審証人九分冊七〇〇丁以下、控訴審証人二〇分冊六三三八丁以下)。そして、Dは第一審において「酒を届けたとき、CのほかにKもいた」旨証言し(九分冊二五八七丁)、Nもこれに沿う供述をしている(同二五一九丁)のであって、Kの右供述は、十分裏付けられており、信用することができる。所論は採用できない。

(2) 運び手グループの変更後の供述の信用性について

所論は、本件ぶどう酒の到着時刻については、D、Nらのぶどう酒をJ方に運んだ側の人物(運び手グループ)とKらの受け取った側の人物(受け手グループ)の供述が存在するが、確定判決の認定の根拠となった運び手グループの四月一九日以降の調書における供述、すなわち、Dの「本件ぶどう酒の到着時刻は午後四時半ころから同五時ころの間である」という供述(四・二一検面三分冊七一五丁以下)及びNの「本件ぶどう酒の到着時刻は午後四時ころから同五時ころの間である」という供述(四・二〇検面四分冊一一二〇丁以下)は、①四月一六日以前の調書における午後四時以前の到着を示す供述を変更し、到着時刻を遅らせたものであり、その変更は捜査官の強引な捜査によるものであって、任意になされたものではないうえ、②その変更後の供述ですら終期が午後五時ころとするものであるのに対し、Kらの供述は午後五時一〇分ころを示していてこれと矛盾しており、信用できない、というのである。

① たしかに、本件ぶどう酒をCに手渡したD、Dと共に本件ぶどう酒を自動車で運んだN、本件ぶどう酒をDに販売したOらの四月一六日以前の供述は、本件ぶどう酒がCに手渡されたのは、午後四時以前となる趣旨のものである。しかし、右の者らの時間に関する変更前の供述は、それ自体についてみても、たしかな裏付けのある供述ではなく、相互に補強し合う程度も低く信用性が薄いのである。しかも、運び手グループの変更前の供述が、他の証拠から認められる事実に反し、信用できないことは以下において明らかにするところである。また、所論にかんがみ、記録を調査しても、右供述変更が強引な捜査によるものであることを窺わせる事情は認められない。

② そして、運び手グループの変更後の供述も本件ぶどう酒の配達すなわち到着の終期が午後五時ころであるとしており、五時を一〇分も過ぎていた旨をいうものがないのに対し、受け手グループのKの供述の中には帰宅して間もなく本件ぶどう酒が配達されたが、その時刻は五時五分ころと思う(四・二〇員面七分冊二〇一五丁)、五時一〇分ころかと思う(四・二〇検面四分冊一一三三丁)旨いう部分があることは、所論のいうとおりである。

しかし、Kの供述中右の部分は、以下に検討するように、必ずしも正確な記憶に基づく供述とは認められない。

すなわち、武田優行医師の供述等によると、同医師は、当日午後往診に出て、約五、六分後に(当審で提出した報告書写し弁4)Lを見送り帰路についていたC、Kらに、山下魚店から約七、八〇メートル西方の地点で出会い、五分くらい立ち話をしていることが認められる。そして、武田医師は当初、往診に出発したのは午後四時二〇分すぎころであると供述している(四・二一員面七分冊二〇八六丁以下)が、第一審公判(九分冊二七二四丁以下)において、同人は、従前述べたのよりは約一五分遅い午後四時三五分ころ往診に出発したと述べている。このことにKらが武田医師と別れてからJ方に帰り着くまでに要する時間が約一五分であること(第一審検証九分冊二八一〇丁以下)を総合すると、C、KらがJ方に帰り着いたのは、早ければ午後四時四五分ころ、遅ければ午後五時ころであると認められる。そして、ぶどう酒を受け取ることができた時刻は、それ以降ということになる。

なお、神谷逸夫は、KやCらと波多野橋の付近で出会い、一緒に帰路についてJ方前でKやCらと別れ、自宅に着いて直ぐくらいに五時のサイレンが鳴るのを聞いた、と供述していること(四・二三検面五分冊一二八二丁、四・二〇員面七分冊二〇五三丁等、一二・八証言九分冊二八四一丁)、また、J方と神谷逸夫方とは約一二〇メートル離れていること(当審提出報告書写し(弁3))、更に、Kは、概ね午後五時前ころ帰宅し、それからまもなく、本件ぶどう酒が届けられ、Cがこれを受け取った旨第一審及び控訴審で証言していること(九分冊二七〇〇丁以下、二〇分冊六三三九丁以下)等によると、KらがJ方に帰り着いたのは、五時を一〇分も過ぎていたとは認められないのである。

そして、ぶどう酒の配達が午後五時を少し過ぎた五時一〇分ころかと思う旨をいう右供述部分は、時刻について確信のないことがその表現にも現われており、また、そう思う根拠としては、Lを見送るためにJ方を出た時刻が歩いて一〇分くらいかかるバス停を午後四時五分に出るバスに間に合わない時刻であり、小一時間してJ方に戻ってきてまもなく配達されたからということに尽きるのであって(四分冊一一二九丁以下)、午後五時一〇分という点に確実な根拠に基づく明確な記憶があったわけではないことが認められる。

以上によれば、Kの供述は、右時刻について検面供述よりも証言の方が正しいと認められるのであって、J方に帰宅した時刻が午後五時一〇分ころである旨いうKの供述部分(四・一八検面四分冊一一三二丁以下)は、正確な記憶に基づく供述とは認められないのであり、Kの右供述部分を根拠にしてDら運び手グループの変更後の供述が信用できないということはできない。また、Kの供述に一部不正確な供述があるからといって、Kの供述の根幹部分が信用できなくなるとはいえない。

(四) ぶどう酒の到着時刻午後五時三分ころとその前後のD、E、請求人らの行動あるいは遭遇関係との整合性について

所論は、要するに、Dらが本件ぶどう酒を午後五時三分ころにCに手渡したということを是認すると、その前後のD、Eらの行動あるいは遭遇関係と整合しないとして以下のとおり種々主張する。

右主張について判断する前に、確定判決がぶどう酒のJ方への到着時刻を午後四時四五分ころから五時三、四分ころであると認定している本旨をみると、始期についてはC、KらがLを見送ってJ方に帰着したと認められる時間のうち最も早い午後四時四五分ころであるとし、終期はCにぶどう酒を手渡したDらがその後南田定一方横の共同倉庫前付近で飼料一三俵を下ろして同所を立ち去ったが、その間共同倉庫前付近においてE及び一緒にいた神谷花子らの姿を見掛けなかったこと、EらもDらの姿をみていないことを前提として、DがJ方を出てから共同倉庫を立ち去るまでに要する時間を二、三分と算出し、Eが共同倉庫前に至ったが時刻が午後五時六分ころであり、右算出した時間をこれから遡らせて、午後五時三、四分ころとしたものである。所論は、たとえば、後記のとおり、右到着時刻が午後五時三分であるとすると、EがDに気付くはずであるなどというが、これは確定判決の認定判示の本旨を理解しないものであって、仮に、所論のいうとおり、Eは、共同倉庫に着く相当前にDの乗った自動車に気付くはずであるとか、Dが共同倉庫前を立ち去るまでに要した時間が確定判決の認定より多少長い時間であったとかすれば、終期が、それだけ多少遡るだけのことであって、午後四時四五分ころから午後五時三、四分ころまでの間に到着した事実が左右される性質のものではない。原決定の趣旨も右と異なるものではないと考えられる。

ちなみに、所論に即して説示しておくことにする。

(1) 所論は、ぶどう酒の到着時刻を午後五時三分ころとすると、EがDらの自動車に気付くはずであり、気付かなかったというのは不自然であり、右時刻には到着していないと主張する。

検討するに、

D及びNは、ぶどう酒をCに渡した後、共同倉庫前に移動し飼料を下ろす作業をしたのであるが、一方、Eは、五時のサイレンを聞くや自宅を出て、坂道を下りてJ方方向へ向かう途中、H方付近で同人に出会い、歩きながら同人と話などし、直ぐ別れ、更に坂道を下りて共同倉庫前付近に差し掛かり、神谷花子から呼び止められ、同人を待ち受け同所でしばらく立話をしたが、その間も、その前後も、そこで、Dらを見掛けなかった(以上は所論も主張し、証拠上も明らかである。)。

Eが自宅から共同倉庫前付近に至るまでに要した時間は約六分である(第一審検証九分冊二八五六丁)。一方、Dらが、J方においてCに対し、ぶどう酒を手渡してから、共同倉庫前付近に至り、同所で鶏の飼料を下ろした後、同所を立ち去るまでに要した時間は、①J方前から共同倉庫前までにかかる時間が二二秒ないし一分であり、②共同倉庫前で鶏の飼料を下ろす作業をするのに要した時間が約一分二二秒であり、③Dが南田方へ知らせに行くのに往復約二六メートル歩いているからその間の時間は約三〇秒と考えられ、以上によると、Dらは、J方を出発してから共同倉庫前を立ち去るまでに約二分一四秒ないし二分五二秒を要したものと認められる(確定判決理由第二、三八丁以下、一一月二七日検証九分冊二五三四丁、一二月八日検証九分冊二七九七丁以下、昭和四二・一〇・一八検証一九分冊五八四八丁、補充意見書(その一)五三、五四頁の計算)。そうすると、Dらが共同倉庫前を立ち去った時刻は、午後五時五分一四秒ないし同五二秒ということになり、Eが共同倉庫前付近に到着したはずの午後五時六分ころよりも八秒ないし四六秒前に共同倉庫前を立ち去ることができたということができる。そして、たとえば、右の最大四六秒前に立ち去ったとして、その間に人が普通に歩ける距離(秒速約1.2メートルとして約五五メートル)やDの乗った自動車がEから遠去かる方向に進行することをも考慮に入れると、EがDらに、あるいはDらがEに気付かないこともあり得ると認められるのである。

したがって、Eが共同倉庫付近のDらに気付かなかったことがぶどう酒到着が午後五時三分ころであった可能性を肯認することと矛盾するとはいえない。

また、所論は、Eが午後五時六分ころ共同倉庫前に到着したとすると、普通の速度で歩いてその一分三三秒前には、共同倉庫の手前約一〇九メートル(この距離は当審提出の中日本航空測量株式会社製地図(弁5)により測定)の用水池横の辺りで共同倉庫の前を見渡すことができるから、その時点でDらの自動車がそこにあればこれに気付くはずであるのに、気付いていないのは不自然であるともいう。

たしかに、右地図によると、共同倉庫前から用水池横の辺りまでの距離は約一〇九メートルと推認され、人が普通に歩く速さ(秒速約1.2メートル)に基づくとEは一分三〇秒程度でその距離を歩き得ることが認められる。そして、所論のいう位置から共同倉庫の前を注視するとその時点でDらの自動車がそこにあればこれに気付くはずであるといえないではないが、所論のいうEの位置はDらの自動車のあった地点から距離が相当にあること、その間の坂道は高低差があり、右用水池の地点で坂道は大きく湾曲していること、途中に建物があることなどに徴し、Eが共同倉庫の方を注視しないで共同倉庫前の自動車に気がつかなかったとしても不自然とはいえない。

(2) 所論は、検証などの結果を援用し、請求人の行動を時間を追って再現してみると、請求人は、石切場を午後四時一〇分に出て、山下の県道に四時一六分着、自宅に四時三四分着、子牛の運動に四時四九分自宅を出て、五時一七分帰宅したものであると主張し、請求人が、本件犯行当日、石切場から帰宅し、子牛に運動させていた時間帯は午後四時四九分から午後五時一七分までと認められるから、Dらは本件ぶどう酒を午後五時三分ころCに手渡した前後に子牛に運動させていた請求人に出会っているはずであり、出会わなかったという以上は、右ぶどう酒到着時刻の肯認は誤っている、という(補充意見書(その一)第四)。そして、右再現の模様を撮影したビデオテープ(弁29)を当審で提出した。

検討するに、たしかに、請求人が石切場から午後四時一〇分ころ帰路についたことは、一応裏付けられている(白澤今朝造の四・一六検面五分冊一三五一丁以下)。

しかし、右裏付けも白澤の記憶に基づくものであって確実なものではなく、石切場から県道に下りるまでの所要時間六分についても、所論は遅足の場合と早足の場合の平均値を採用しているが、請求人は先に行った妻らを追いかけ追いついたのであるから、実際は早足であった可能性が強いのであり、また、その後の請求人の行動及びその所要時間については請求人がそういうだけであって、帰宅後子牛の運動に出掛けるまでに要したという一五分などの時間についてもさしたる根拠もなく、子牛を運動させた距離も時間も実際はもっと短かった可能性は十分にあるというべきである。すなわち、右請求人の行動に要した時間はその供述よりも実際は短縮されたものであった可能性が強いこと、したがって、Dらが本件ぶどう酒をCに手渡し、共同倉庫前で南田定一、Mらから注文のあった鶏の飼料を下ろした時間帯には、すでに請求人は、子牛の運動を終えていた可能性が強いこと等に徴すると、DがCに本件ぶどう酒を手渡した時刻が午後五時三分ころであることと子牛の運動中の請求人とDらが出会わなかったこととが矛盾するということはいえない。

(3) 所論は、ぶどう酒到着時刻を午後五時三分ころとすると、EらがMと出会うはずであると主張する。

しかし、鶏の飼料を注文したMは、Dらが共同倉庫前で鶏の飼料を多数下ろした後、そこから約六〇メートル離れた自宅まで運んでいるのであるが、Mが鶏の飼料を運び始めたのは、Dらが下ろし終えた後しばらく時間が経過してからのことであるといっているのであり、その直後に運び始めたといっているのではないから(M第一審一一・二七証言九分冊二五七三丁)、Mが鶏の飼料を運び始めたときにはEらは共同倉庫前を立ち去っていた可能性が強く、同人らが出会わなかったのが不自然とはいえない。

(4) 所論は、ぶどう酒の到着時刻が午後五時三分ころであるとすると、その後のDの行動に要した時間にかんがみ、Dは、午後七時ころに始まった三奈の会の総会に出席することができないことになり、Dが現に右総会に間に合ったことに照らすと右の到着時刻は誤りである、と主張する。

Dの供述等関係証拠によれば、同人は、自動車に乗り、ぶどう酒をJ方に届けた後、共同倉庫前まで行き、ここで鶏の飼料を下ろし、農協に引き返して仕事をし、広島屋へ折詰めを取りに行くため自転車で農協をたち、途中柏屋橋付近で角田克己に伝言を伝え、広島屋で折詰めを自転車に積み、農協に戻り仕事をし、公民館へ折詰めを運ぶため自転車で農協をたち、途中福中亀次郎方に寄って伝言を伝え、波多野橋でJと会い、一緒に自転車を押して部落へ通ずる坂道を上り、Jとは同人方の前で別れ、公民館に折詰めを下ろし、一旦自宅に戻り、自転車を置いて再び公民館へ行き、その後しばらくして三奈の会の総会が始まったとの事実が認められ、所論も争っていない。

右の各地点間の移動に要する時間等は検証(一一月二七日実施九分冊二五三四丁、一二月八日実施九分冊二七九七丁以下、昭和四二・一〇・一八検証一九分冊五八四八丁、補充意見書(その一)五三、五四頁の計算、弁護人吉田清作成の平成五年一月八日付け上申書)がなされており客観的な資料が集められている。

すなわち、

J方―共同倉庫

一分(二二秒ないし一分であるが、所論にしたがい長い一分を取る)、自動車

共同倉庫前での停車時間

一分五二秒

共同倉庫―農協

一一分、自動車(この時間は農協から共同倉庫へ至る時間と同一とした。所論も同旨。)

農協―広島屋

二〇分、自転車

広島屋―農協

二三分三〇秒、自転車

農協―公民館

二五分、自転車及び徒歩であって、以上合計一時間二二分二二秒となる。

ところで、所論は、Dが広島屋から帰った後に農協で仕事をした時間が約三〇分であったという。

なるほど、Dは、右一二月八日の一審検証の指示説明では右の広島屋から帰った後の仕事時間は、約三〇分といっている。しかし、昭和四〇・一・一四、同二六各検面(二四分冊七四九四丁、同七五〇四丁)では、これを約一〇分と供述しているのであり、Dはもともと右時間を正確に記憶しているわけではない。そこでちなみに、以下、右時間を一〇分間とした上で所要時間を算出してみると、Dは、広島屋に行く前に農協で約一〇分仕事をし、広島屋で約五分費やしたとも供述しているのであるから、これらの合計時間は二五分となる。

そうすると、移動時間及び仕事等に費やした時間の合計は一時間四七分二二秒となる。

すなわち、DがCにぶどう酒を手渡した時刻が午後五時三分ころとすると、Dが折詰めを公民館に届けたのは、午後六時五一分(分以下切り上げ)ころとなる。

そして、Dは、折詰めを公民館に届けてから自転車で自宅に一旦戻り今度は徒歩で公民館に引き返し、総会に出席した。Dは片道は自転車であった(原審記録一三分冊三一四六丁)。D方から公民館まで足の早い者で四分二〇秒、足の遅い者で五分五五秒を要し(原審検証、昭和五七年九月六日、原決定別表第三の3)、自転車の速度が徒歩の四倍とみると、往復に要する時間は、五分二五秒ないし七分二四秒を要する。仮に、Dが自宅に三分滞在したとすると、この間の時間は九分ないし一一分(分以下切り上げ)となる。

そうするとDが総会に出席するために公民館に到着した時刻は午後七時ないし七時二分ころとなり、午後七時ころに始まった三奈の会におおむね間に合うことができるのである。

所論は、Dがサイレンの音を広島屋に着く前に聞いたと供述しているので(四・二〇員面七分冊一九五三丁)、右サイレンが午後六時のものとすると、Dが広島屋に着いたのは午後六時過ぎであるとし、この後、Dは、広島屋から農協に戻り、そこで約三〇分仕事をし、その他に、公民館から自宅に戻り自宅に滞在した時間、公民館に再び着いてから、総会が始まるまでの時間を考慮するとDが広島屋に到着してから総会に出席するまでに優に一時間三〇分は要しており、広島屋に着いた時刻が六時過ぎとすると、七時の総会に間に合うことはとてもできないのであり、結局、Dは、広島屋に午後六時過ぎに着いたことはあり得ず、右サイレンは午後五時のものであり、広島よし子の「午後五時一〇分ころ着いた」という供述(一二・八証言九分冊二七九四丁)が真実である、という。 しかし、所論のうち、広島屋から戻った後、農協で約三〇分間仕事をした事実が必ずしも確実なものでないことはすでに説示したとおりであるほか、Dがサイレンの音を広島屋に着く前に聞いた事実は認められない。

すなわち、角田克己は、「柏尾橋で工事の監督をしているときの、五時二〇ないし三〇分ころ、Dが自転車で呼びに来た。私はその後一〇分ないし二〇分、以後の段取りをして、自宅へ帰った。その帰宅途中、柏尾橋から徒歩で一六分八秒の所でサイレンの音を聞いた。」旨供述しており(検面二四分冊七五二五丁、七五二九丁、七五三三丁、当審に提出された昭和四〇年三月一〇日付実況見分調書)、これによると右サイレンの音は六時のものというほかないところ、Dは、角田と会ったその足で広島屋へ向かっており、柏尾橋から広島屋までは所論が指摘するように(補充意見書(その一)七六頁)自転車で約一三分しかかからないと認められるから、これからすると、Dは、広島屋に着く前に右サイレンの音を聞くはずはなく、広島屋を後にしてから六時のサイレンの音を聞いたことにならざるをえない。

角田の右供述は、Dの右供述と比べてより具体的であり、午後七時ころに開かれた三奈の会総会に現に間に合ったDの行動とも整合しており、信用性が高い。

また、もし、所論の援用する広島よし子の供述を前提にすると、前記の検証等の結果からして、DがJ方を出発するのはDが広島屋に到着したという午後五時一〇分ころの約四四分前と算定される(なお、この四四分という時間は農協で仕事をしたという一〇分間を除くと、ことの性質上それほど伸縮性のあるものではない。)から、Dは午後四時二六分ころJ方前で、Cに本件ぶどう酒を渡していることにならざるをえないが、Cは午後四時少し前ころKの義母Lを見送りに出発しており(L四・二〇検面四分冊一一四〇丁、四・一九巡面七分冊二〇二四丁、一一・二八証人九分冊二六七一丁)、そのころは、CはまだJ方に戻っていないことが明らかであるから、これと整合しない。

所論は採用できない。

したがって、原決定が肯認したぶどう酒の到着時刻の終期午後五時三分ころを前提にしても、ぶどう酒を運搬したDらのその前後の行動及び遭遇関係を矛盾なく説明することはできるのである。

結局、新規性の認められた証拠、原審で取り調べられたその余の証拠に、請求人が当審で提出した証拠と旧証拠とを加え総合的に考察しても、所論の新証拠が無罪を言い渡すべき明白な証拠といえないとした原決定に誤りがあるとは認められない。

2  一〇分間問題(異議申立書二八丁裏以下、補充意見書(その四)、同(その七)一四三頁以下、原決定書二二丁以下)

所論は、要するに、請求人がEの一回目の公民館行きに同行し、Eがそこを出てから戻るまでに、約一〇分間あり、その間、請求人が一人で公民館内にいて本件ぶどう酒の中にニッカリンTを入れたとした確定判決を肯認した原決定は不当である、というのであり、その論拠として、新規性のある①Bの供述(原決定別表第二の15、昭和六〇年九月二七日証言)を加え、旧証拠である②Fの供述、③請求人の供述等を再評価し、全証拠を総合評価すれば、確定判決の事実認定及びこれを肯認した原決定の判断の根拠となっている「J方を訪れてから一旦請求人と一緒に本件公民館へおもむき、そこから雑巾などを取りにJ方に戻り、再び引き返して公民館に入ったが、その間、約一〇分間、請求人が一人で公民館内にいた」旨いう④Eの供述及びこれを裏付けるとされた⑤Gの供述は信用できないものであり、⑥請求人とEとの行動を時間を追って再現してみると、Eが一回目にJ方を訪れたことになる午後五時一二分ころは、請求人は、子牛の運動をさせていた最中でJ方でEと出会うことはあり得ないのであって、請求人が公民館へEと相前後して同行したのは、Eの右二回目の公民館行きの際であり、このEの二回目の公民館行きに同行したとき、Fも請求人に一足遅れて公民館に到着しており、請求人が公民館内に一人きりになったことはなく、一〇分間の犯行機会はないことが明らかとなった、というのである。

しかし、原審新証拠と原審で取り調べられたその余の各証拠並びに請求人が当審に提出した各証拠を旧証拠に併せて総合評価しても、「請求人は、本件ぶどう酒瓶を公民館に運んだ後、約一〇分間くらい一人で右公民館内にいた。」旨認定した確定判決及びこれを肯認した原決定の判断に誤りがあるとは認められない。

以下、分説する。

(1) Bの供述について

所論は、Bは原審において「本件事件当日J方に手伝いに行き、EがJ方に一度来て公民館に出掛けた後に、外便所に行き、そこから請求人がJ方前を子牛を引いて行くのを見た。」と証言しており、Bが便所から見掛けたのは、請求人が子牛の運動を終えて帰宅途中のところであり、右証言によれば請求人が同行したのはEの二回目の公民館行きであることが明らかであるという。

たしかに、Bは原審において、所論のいうような供述をしている(原審記録一五分冊四〇六八丁以下)。

しかし、Bは、第一審による一一月二七日施行の証人尋問において、「自分が小用をした後にEがJ方に来た。」旨原審における所論援用の供述と全く異なる供述をしており(九分冊二六三一丁以下)、しかも右は裁判官から二度にわたり「あなたが便所から帰った後にEが(J方に一回目に)来たのですか。」と質問されて、これをはっきりと肯定しているのであるから、その信用性は高い。また、捜査段階の供述をみても、同人の三・三一員面では、「Eに会場の方を頼んでEが出ていって、暫くして請求人が来た。」旨いうだけで(一三分冊四〇二二丁)、Eが二回目に来たときのことは供述から洩れており、請求人が来たのは右の一回目に近いのか二回目に近いのかはっきりしないが、四・七員面では、「EがJ方を出ていって三、四分して請求人が来た。請求人が酒を持っていってから約五ないし一〇分してEが雑巾貸してくれ、といってきた。」といい(一三分冊四〇四九丁)、四・一一検面では、「自分がEに風呂敷包みを渡して公民館の準備に行ってもらったころ、請求人がJ方に来た。請求人が酒瓶を持って出ていってから五ないし一〇分してまたEが雑巾を取りにきた。」といい(三分冊五七一丁)、ほぼ同趣旨の供述をしており、その趣旨は、請求人はEの一回目のときに接着してJ方に来たのであり、Eが一度公民館に行き、請求人も行ってから、再びEが戻ってきたということにあることが明らかである。

そして、Bが原審において従来と異なる供述をするに至ったことについて首肯すべき理由は認められない。Bの原審における右供述は信用性が薄いといわなくてはならないのである。

そうすると、原決定が、Bにおいて所論が新証拠として援用する供述をするに至った経緯やそのような事実を思い出した経緯が不明であること等の理由から、右供述を、信用できないとした判断に誤りがあるとはいえない。

更に、所論は、次のようにいう。Eや請求人の行動を時間を追って再現してみると、請求人が子牛の運動を終えて帰宅途中J方前を通る時刻はEがすでに公民館に出発した後の午後五時一七分ころであることが判明したが、これは、Bが捜査及び第一審公判を通じて、自分がJ方を二度目に訪れたのは午後五時一〇分すぎころであると供述していることと符号し、Bの前記供述の信用性を高めるものである、と。

しかし、右請求人の行動の再現が必ずしも実際の行動に合致するといえないことは前記1(四)(2)で示したとおりである。その上、Bが二回目にJ方を訪れた時刻に関するB本人の供述は、三・三一員面(一三分冊四〇一九丁)等では「時計が午後六時を回ってから」と他の証拠とは全く符号しない時刻をいうなど午後五時一〇分すぎころであると一貫しているわけではなく、また、十分な根拠に基づいて供述しているものではないから信用できない。これに対し、捜査公判を通じて「自分が二度目にJ方を訪れたときには、未だCとKは外出から帰って来ておらず、自分と一足違いで同人らが帰って来た」旨の供述は一貫しており、他の証拠とも符号し、信用でき、前にぶどう酒の到着時刻についての判断で示したとおり、CとKが帰ったのは午後五時ころを一〇分もすぎていなかったのであり、Bはそれより前にJ方を訪れたものと認められるのであるから、所論は採用できない。

(2) Fの供述について

所論は、Fの「自分がEに続いて公民館に入ったとき、同館内にいた請求人が囲炉裏と玄関の間くらいにヒョロッと立っていた」(四・八検面三分冊五五七丁等)、「その際、会場の玄関より入った正面の囲炉裏のあるところに請求人が立っていてうろうろしていた」(当審提出四・三員面写し)等の供述は、公民館に着いて間のない請求人が囲炉裏の流し場のある板の間のところにぶどう酒などを置いた直後の請求人の様子、情景をよく表現したものであるという。

しかし、Fは請求人のあとからまもなく入ったと言っているわけではない上(後記(3)参照)、所論がいうような様子で請求人が立っていたことから直ちにFが入ったのは請求人が入ってから間もないときであると推認できるものではないことは多言を要しない。

(3) 請求人の供述について

所論は、Eが二回目に公民館に行くときに同行した旨をいう請求人の供述(但し、捜査官によりEの供述に合うように強引に誘導され、Eの一回目に同行したと述べさせられた四月七日以降の自白を除く。四・二員面(第三回)八分冊二二〇八丁、四・五検面八分冊二三四九丁以下等)は、Eが公民館に行く途中Fに会ったのを見ていること、Eと同行した際、同女が「柴」を持っていたこと等の重要な点で、一貫しており客観性もあり信用できる、という。

しかし、請求人の四月七日以降の自白を除いた供述の中の右のような点が一貫しているからといって、直ちに請求人の自白に信用性がないとかEの二回目のときに同行したことが真実であるとかいうことはできないうえ、請求人が自白する以前の供述も、所論がいうように一貫しているわけではない。すなわち、請求人は、三・三一員面で、「私はEと一緒にJ方を出た。私等が会場に到着して間もなくFが来た。」旨言っているが(八分冊二一五三丁)、右員面の中では、「途中でFを見た」とは言っていない。また、右の「私等が会場に到着して間もなくFが来た。」という部分も、四・二員面(第三回)では「二人(請求人とE)一緒に私の家の前を通って近くの宮坂健勇さんの家辺りまで来たとき、直ぐ後ろからやって来たFさんが追いついたので、女二人は話をしながら歩きだしたので私は先に歩いて行った」、「私がまず到着して、犯行を実行し、その後二人が入ってきた」旨供述しており(八分冊二二〇七丁以下)、一貫しない。

しかも、請求人の四・二員面(第三回)中の右供述は、請求人と一緒に歩いていたEの側にFが追いついた趣旨と解するのが自然な解釈であって、そうであるとすれば、Fが請求人の姿を見ていないはずはないのであるが、Fは一貫して、「公民館へ行く途中請求人に会ったり、見掛けたりしていない」と供述しており、「Eが公民館へ行く途中Fに会ったのを見た」という請求人の供述と食い違っているのである。請求人は、自分の供述とFの供述の右食い違いについて、FがEと同行するとき、現場が急な坂であること等の地形的状況から、先を行く請求人からはFらが見えるけれども、Fからは請求人が見えない場合もある、という再現実験の結果を当審において提出し(ビデオテープ弁29)、右食い違いはない旨を主張する。しかし、請求人の右四・二員面(第三回)中の供述によれば、公民館へ行く途上でFは請求人の姿を見ていなければならないはずであることは前示のとおりであり、このことは両者が所論のいう位置関係に立ったかどうかにかかわりのないことであり、右再現実験の結果によって、右両者の食い違いがないとすることはできない。なお、また、右再現実験の結果は、そういう位置関係に立てばそういう場合もあり得るというだけのことであって、両者がそういう位置関係に立ったことを請求人自身が供述しているわけでもないのである。

すなわち、請求人の前記供述は、所論がいうような一貫性はなく、かつ、客観性もないのである。

(4) Eの供述について

所論は、Eの「自分が一回目にJ方を訪れた後、請求人と公民館へ同行した。その後請求人を一人公民館に残し、J方に戻り、雑巾などを持ってまた公民館に引き返した、その間の時間が約一〇分である」旨の供述には、その内容に不自然な変遷があるほか不審な点などがあり、請求人と同行したのは二回目の公民館行きのときであるのに、一回目のときであると取り違えており、信用できないという。

しかし、Eは、請求人が自白する以前の捜査の初期の段階(事件後二日目の三月三〇日)から、一貫して、次の供述を繰り返している。

ア 事件当日J方を訪れ、そこから公民館に向かった。

イ 公民館に出かけようとしたとき、請求人がJ方に来た。

ウ 請求人はぶどう酒瓶と日本酒瓶を持って公民館に行き、自分もすぐその後を歩いて行った。

エ 自分は、雑巾を借りるため、請求人を一人公民館に残しJ方に戻った。

オ 雑巾を持って公民館に戻る途中Fに出会い、一緒に公民館に入った。請求人は相変わらず一人でいた。

カ 自分がJ方に雑巾を取りに行って、公民館を留守にしたのは約一〇分間である。

右の供述は、具体的かつ詳細であり、F、B、Gらの供述によって裏付けられていることから、その信用性は極めて高いものがある。右の供述は、請求人を無罪とした一審判決も信用しているところである。

所論は、Eが三・三〇員面(一三分冊四〇七九丁)では、「私は、一回目に請求人と公民館に行くとき、手に『柴』を持っていた、そのとき請求人と一緒だった」旨述べていたのに、後にこれを訂正し、四・二員面(一三分冊四〇九六丁以下)では、「請求人と一緒に行った一回目は風呂敷包みを持っていた、二回目のときに柴を持って行った」旨供述していることに関し、右供述の変遷は不自然であり、請求人と行くときに柴を持っていたというのが真実であり、それは二回目のときのことである、という。

なるほど、右の点で変遷があることは所論のいうとおりである。しかし、Eが請求人と一緒に行ったとき手に柴を持っていたということが特に印象に残るようなできごとというべき事情は何等窺われないのであり、むしろ、初めの供述では、一回目に行ったとき手に何を持っていたかはそれほど重要な事実とは意識しておらず、当時まだ本件有機燐中毒で入院中でもあり、記憶が十分整理されていなかったため取り違えがあったのではないかと思われるのであって、右変遷が不自然であるとはいえない。しかも、右変遷は、Eの全体の供述の中の極一部にしかすぎず、同人の供述の全体の信用性を揺るがすようなものではない。

所論は、当日最初に公民館に入ったのがEであり、その際には雨戸が閉まっていて暗く、Eが雨戸を開けているはずであることを前提にして、Eの供述には、当時雨戸をどうしたかの供述がないから不審であるなどともいう。

しかし、当日Eが公民館の雨戸を開けたと認めるに足りる証拠はない。むしろ、Bの供述によると、Eが雑巾を借りにJ方に戻ってきたとき、Cが「会場はもう拭いてあるやろが。」(四・七員面一三分冊四〇五〇丁、四〇六一丁)、あるいは「もう掃除はしてあるやろ」(四・一一検面三分冊五七九丁)などと言ったことが認められ、右によるとCないしはその知っている誰かがある程度の下準備をし、雨戸を開けていたのではないかと推認されるのであって、Eが一回目に公民館に入ったときは雨戸が閉まり、真っ暗であり、Eが雨戸を開けたはずであるという所論の推認は採用できない。

所論は、Eが夫の妹であるCとその夫であるJとが当時疑いの目で見られていたのでこれを守るために、虚偽を述べるものであるともいう。なるほど、両名とも本件の関係者ではあったが、当時容疑者は特定されていたわけではなく、両名が特に強く疑われていたわけでもないから、同人らを庇うために、ことさら請求人を罪に陥れなければならない状況も窺われず、所論は単なる憶測というべきであって、採用できない。

所論は、当審で提出した四月一日付け朝日新聞記事により、Eが三月三一日、記者に対し、Eと請求人が公民館に向かったところ、途中でFに会ったと供述しているといい、これを新証拠として有利に援用する。しかし、その記事においてもEは請求人と同行したのは一回目の公民館行きの際である旨述べているのであって、この点は一貫しており、また、Fと会ったのが二回目のときではなく、請求人と同行していた一回目であるという点では相違しているが、右記事は、もとより読み聞けて確認もさせていない概略的な伝聞供述にすぎず、Eがその前及びそれ以降に捜査官に対してした具体的詳細な一貫した供述の信用性を左右するものとはいえない。

そして、その他、Eの供述について、所論の主張するすべての点を検討してみても、二人で行ったのが一回目であったのか、二回目であったのかを取り違えるような状況があったとも認められないのであり、Eの前記供述を信用した確定判決及びこれを肯認した原決定の判断に誤りは認められない。

(5) Gの供述について

所論は、Gの「公民館で電気工事をしているとき請求人とEが公民館に入って、しばらくして請求人を公民館に残してEが出て行った。」という供述(四・一一検面三分冊六七五丁以下)は、右供述が、その以前に作成された各員面四通写し(当審提出、以下写しは省略)に全く出ていないのにその後突然現れたものであること等に照らして、不自然、不合理で信用できず、E供述の裏付けとなるものではないという。

しかし、Gの「公民館で電気工事をしているとき請求人とEが入っていき、しばらくして請求人を公民館の中に残したままEが出て行った」という右供述は、たしかに、請求人が当審で提出した四通の員面に記載されていないが、右の各員面はいずれも主として公民館における三奈の会に出席した以後のことなどについて聴取した結果が記載されているものであるから、右供述と同旨の記載が右の各員面になく、四月一一日に至って右供述が現れたとしても特段に不自然、不合理で信用できないとはいえず、右供述がE供述の裏付けとならないとはいえない。

Gは、原審において、新たに「電気工事終了後、本件公民館の前の坂の下でFが誰かと話をしているのを見掛けたことがある。」と供述しているところ(昭和六〇年八月五日証言原審記録一五分冊四〇三〇丁)、Fも一緒にいたEもGを見たとはいっていないことなどからその供述の全体の信用性に問題があるという。

なるほど、Gの供述中右の点は、F及びEの供述と符号していない。しかし、右の点は、出来事から長期間経過後に初めて述べられたことであり、記憶違いの可能性を否定できず、右の点が信用できないからといって、事件直後になされた右四・一一検面記載の供述の信用性が損なわれるとはいえない。

(6) 請求人とEとの行動を時間を追って再現してみると請求人が同行したのはEの二回目の公民館行きのときであることが明らかとなったとの主張について

所論は、人がある地点間を移動するのに要した時間を計測した各種の検証、すなわち、一二月八日施行の検証(九分冊二八一七丁以下)、昭和六一年四月二二日施行の検証(原審記録一三分冊三一四七丁以下)、当審提出の四月六日付辻万造作成の捜査報告書写し等をもとに、請求人が、当日午後四時一〇分ころ石切場を出発した時点(請求人の自白、白澤今朝造の四・一六検面五分冊一三五一丁以下)から、自宅に戻り、子牛の運動に出掛け、また自宅に戻って、着替えしてJ方に行くという請求人の行動を再現してみると、四時三四分自宅に着き、四時四九分子牛の運動をしに自宅を出、五時一七分帰宅、五時二二分J方に向け自宅発、五時二三分J方に着、五時二四分J方を公民館に向け出発したものであり、請求人がJ宅に到着するのは五時二三分ころと計測されるのに対し、Eが、五時にサイレンの音を聞いて自宅を出てから(Eの供述による。)、途中でH及び神谷花子と出会って立ち話をした後J方に行くというEの行動を再現してみると、Eは、午後五時J方に向け自宅を出て、五時一二分J方に着、五時一三分J方を公民館に向け発、五時二三分にJ方に戻り、五時二四分雑巾を持ってJ方を出発したものであるとし、請求人がEと公民館に行くのはEの二回目のときであることが明らかになったという(当審提出弁29ビデオテープ)。

右によると、請求人のJ方への到着はEの一回目の到着より一〇分遅かったというのであるが、右遅れは長いものではない。そして、この一〇分間は、請求人の到着が早くなればそれだけ縮まる関係にある。

請求人の到着時刻の根拠は請求人の供述及びこれに基づいて再現した請求人の午後四時一〇分頃から一時間余にわたる行動の検証の結果等であって、その行動が犯行当日のものとは相当程度の相違があり、もっと早くJ方に到着していた可能性が強いと推認できることについては、すでに前記1(四)(2)で述べたとおりである。

これらに徴すると、請求人が子牛に運動をさせたり、自宅で休んだりしたこと等に関する供述を基本的に信用してもこの一〇分間のずれというものは縮まりかつなくなることが容易であると考えられるのである。

以上によれば、請求人とEの行動を時間を追って再現した結果を比較して請求人が同行したのはEの二回目の公民館行きのときであることが明らかであるとはいえない。

所論は採用できない。

3  四ツ足替栓上の傷痕(異議申立書一四丁以下、補充意見書(その二)、同(その七)一〇七頁以下、確定判決二五丁裏以下、原決定四七丁以下)

所論は、原審で取り調べられた鈴木和男意見書(原審記録七分冊一六四五丁以下)、土生博義意見書(同九分冊二一八五丁以下)、同鑑定書(同九分冊二〇九四丁以下)及び同人らの各供述(鈴木同一三分冊三一八六丁以下、土生同一五分冊四三二二丁以下)(以下書証と供述を合わせて「鈴木意見」、「土生意見」などという。)更に当審提出の土生博義作成の鑑定書と題する書面(弁14)等を援用し、四ツ足替栓上の傷痕もしくは歯痕に関して、次のとおり主張する。

すなわち、

① 鈴木意見によれば、本件四ツ足替栓上の傷痕は人の歯痕であるか否かも疑わしい。

② 土生意見によれば、本件替栓上の傷痕は請求人の歯牙によって付けられたものではないことが明らかである。

③ 鈴木意見、土生意見によれば、本件替栓のような金属上に印象された歯痕の形態は三次元的に把握できないかぎり、歯痕からその印象者を識別することは極めて困難であり、これに対し、歯痕の特徴点や中心点の間を計測し、歯痕中の条痕の形状を比較対照するという二次元的方法では歯痕形態の把握や歯痕の同一性の判定は不可能であり、本件替栓上の傷痕と証四二号替栓(請求人が自白後の四月八日本件ぶどう酒と同種のぶどう酒瓶から右側の歯で噛んで開けた四ツ足替栓)上の歯痕につき、右のような二次元的方法により替栓上の傷痕は請求人の歯痕に類似するとした本件旧証拠中の三鑑定は証明力が全くなくなった。

しかるに、原決定は、鈴木意見、土性意見等を検討して、①本件替栓上の傷痕が人の歯牙によって形成されたものである可能性が強いことについては、三鑑定の証明力は減殺されず、また、②本件替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたものではないと断定することはできず、③三鑑定は、本件替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾は生じないという限度で証明力を保持している、と判断しているが、右は不当であるという。

よって、検討する。

(1) 本件替栓上の傷痕は人の歯痕であるか否かについて(所論①)

なるほど、鈴木意見書中には、「本件替栓のごとき金属面に残された損傷、つまり王冠上の傷跡を人の歯痕と断定することは困難である。」との記載があるが(原審記録七分冊一六六〇丁)、逆にいうと、右損傷を人の歯痕ではないと断定できるといっているわけでもない。一方、鈴木は、「本件替栓上の傷痕中に人の歯牙による痕跡と考えられるものが一か所ある。」とも証言している(原審記録一三分冊三二三〇丁)こと、三鑑定はもとより、旧証拠中本件替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって生じたとは断定しがたいとする船尾忠孝作成の鑑定書(一五分冊四八五〇丁以下、特に四八五七丁)、井上剛他一名作成の鑑定書(同四七五一丁以下、特に四八二三丁)、右傷痕が請求人の歯牙によって付けられたものか否か判定できないとする三上芳雄作成の鑑定書(一九分冊五七一三丁以下、特に五七四三丁)も、本件替栓上の主要な傷痕が栓抜き器具等によって形成されたものでなく人の歯牙によって形成された歯痕であることを肯定し、これを前提として鑑定していること、土生意見も右傷痕が人の歯痕である可能性を否定するものではないことに原審で請求人が提出した矢田昭一らの専門家の見解が示された回答書等(原審記録七分冊一六九二丁以下)を併せて考察すると、右傷痕は人の歯痕ではないとはいえないのであり、三鑑定の、本件替栓上の傷痕が人の歯痕でありあるいは人の歯痕である可能性が強いとした点に関する証明力は否定されないということができる。その旨の原決定の判断は相当である。

(2) 本件替栓上の傷痕は請求人の歯牙によるものでないと断定できるか否かについて(所論②)

なるほど、土生意見は、同人が表面粗さ形状測定機により、表面粗さを測定記録し、本件替栓上の傷痕の三次元形状と証四二号替栓上の傷痕の三次元形状とを比較したところ、松倉鑑定において一致するとされた各傷痕間の三次元形状がいずれも一致しないから両者の傷痕は同一歯牙によるものでない確率が大きいと推定できるという(原審記録一五分冊四三五二丁)。

しかし、原決定も指摘しているように、もともと、前提となる王冠上の歯痕を三次元形状として測定、描記する方法・条件(基準)はもちろん、測定、描記された三次元形状の比較対象の方法・条件(基準)が現在のところ学問的に確立されているとは認められない。そして、表面粗さ測定装置を用いて測定、描記された三次元形状による替栓(王冠)上の歯痕の個人識別については、土生証人も、ある傷痕と別の傷痕が同一の歯牙によってできたか否かを判断するための法則、基準、条件というものはまだ導き出せないし、同一の特徴が現れていない場合でも同一人の同一歯牙によって得られた傷痕である可能性はある旨供述しているのである(原審記録一五分冊四三五五丁以下、四三五九丁以下)。以上によれば、土生意見を前提として、本件替栓上には、請求人の歯牙による傷痕はない、あるいは、本件替栓上の傷痕と証四二号替栓上の歯痕とは同一人の歯牙により印象されたものではないと断定することはできないことが明らかである。

(3) 原決定が減殺されたとする三鑑定の証明力について(所論③)

三鑑定に鈴木意見及び土生意見等を併せて検討すると、歯痕の特徴点や中心点の間を計測し、あるいは、歯痕中の条痕の形状を比較対照するという二次元的方法による歯痕形態の把握や歯痕の同一性の判定については、もとより歯痕等の間隔や歯痕中の条痕の特徴による個人識別の研究が指紋の場合のそれほど進んでおらず、確固不動の定説といったものが存しない現状では、請求人以外にも本件替栓上の歯痕と同一ないし近似する間隔において、かつ右歯痕中の条痕と同一ないし近似する特徴を有する歯痕を印象し得る人物が存在するかもしれないとの疑問がなお残るのであり、右方法による歯痕の同一性の判定に実際上限界があることは免れない。しかし、右方法による判定が理論的に不可能とはいえず、その専門的な学識経験に基づき、それぞれの手続き、方法により、本件替栓上の傷痕と証四二号替栓上の歯痕の特徴点や中心点の間を計測し、近似値が得られ、右の歯痕の各条痕の形状を比較対照した結果、その形状が類似しているとした三鑑定は、相互に完全に一致するものではなく、また、反対意見をいう別の鑑定等があるとしても、それぞれそれなりの証明力が認められるのである。

したがって、三鑑定は本件替栓上の傷痕が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾は生じないという限度でその証明力を保持しているとした原決定が不当であるとはいえない。

所論の中には、原決定がいうような前記の三鑑定の証明力では、請求人の自白の真実性を担保しないという点がある。

しかし、本件替栓上の傷痕(歯痕)が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾は生じないという限度の証明力しかない証拠が、本件替栓を歯で噛んで開けた旨の自白の真実性を担保する補強証拠の一つとなり得ないとはいえない。

所論は採用できない。

4  自白の任意性、信用性(異議申立書三二丁以下、三五丁裏以下、四五丁以下、補充意見書(その三)、同(その五)、同(その六)、同(その七)一五六頁以下、確定判決四三丁裏以下、原決定七〇丁裏以下)

所論は、請求人の自白に任意性及び信用性がないとして、種々の主張をしているが、原決定が請求人の自白に任意性及び信用性があるとして、その七〇ないし八六丁において説示するところは、いずれも正当として是認できる。

所論にかんがみ付言する。

(一) 自白の任意性について

所論は、要するに、本件は、警察官の予断と偏見に基づいた見込み捜査により、請求人に対し、詐欺的、強制的な取り調べをし、虚偽の自白を誘導したもので、請求人の自白には任意性がないというのである。

よって、検討するに、旧証拠及び原審で取り調べられた証拠によれば、次の事実が認められる。

① 捜査本部は、本件中毒死事件を当初から故意によるものと断定していたのではなく、過失による可能性もあると考えて捜査を開始し、請求人だけでなく、JやDらをも重要参考人として取り調べた。

② 請求人は、重要参考人の一人として、任意に取り調べられた当初は、「Jの妻のCが家庭不和から毒を入れたものと思う。」などと述べていたが、四月一日に至り、「自分の妻のIが当日公民館内でぶどう酒瓶の中に何か入れるのを見た。」などと、当時公民館内の大勢の人が集まっている状況の中で右犯行を実行したという信用性の薄い供述をし、これを信用されずに追及を受け、翌二日夜に、「自分が毒を入れた。」と自供した。請求人は右自白の後に逮捕された。

③ 捜査機関は、「Iが犯人である。」という請求人の供述に基づき、四月二二日Iの墳墓を発掘し、墳墓内や死体の着衣や棺桶の内外に本件農薬などが存しないかどうかを検証した。

④ 請求人の警察官及び検察官に対する各供述調書の中には、否認調書もあり、捜査機関は請求人の弁解をも聞いていた。

⑤ 請求人は、自白をした直後の四月三日午後零時半頃から、新聞記者ら四名と記者会見をし、記者との一問一答においても自分が犯人であることを認めている(辻井敏文第一審証言一三分冊四二六五丁以下、朝日新聞同日夕刊原審記録八分冊二〇四四丁など)。

以上の事実に照らし、捜査機関は、請求人の自白の前に、本件事件が計画的殺人事件であって請求人がその犯人であるという予断を持ってはおらず(前記①)、請求人に言いたいことを供述させ(前記②、④、⑤)、他人を名指して犯人であるという供述についてもたんねんな裏付け捜査をした(前記③)ことが認められるのであって、捜査機関が、予断に基づいて、詐欺的、強制的取調べをしたとは認められない。また、請求人の自白にかかる犯行の準備、方法、罪証隠滅工作の筋書きを、捜査機関において事前に想定していたというような事実も認められない。

なお、所論の中には、捜査機関は請求人をわなにかけて自白させるために、まず、Iが犯人である旨の供述をさせたというような点があるが、記録を検討しても、そのようなことを窺わせる状況は認められない。かえって、請求人は、控訴審において、Iが犯人であると疑っていたことを認め(二五分冊八一八七丁以下)、原審においても、その疑いが頭から離れないなどと述べ(原審記録一五分冊四二四四丁)ているのである。

その他、当審で提出された証拠を加えて検討しても、捜査機関が部落関係者と請求人の自白を得るための方策等を合作したとか、取調べの過程で利益誘導をしたなど請求人の自白の任意性を疑わせる事由は認められない。

(二) 自白の信用性について

(1) 秘密の暴露及び客観的裏付け等について

所論は、要するに、請求人の自白には、信用性を担保する秘密の暴露、すなわち捜査官がそれまで知らず、請求人の供述に基づく捜査の結果その真実であることが他の証拠により確認された事実はなく、また、右自白には客観的な裏付けはなく、信用性がない、と主張する。

たしかに、自白に所論がいう秘密の暴露に当たるものがあるとはいえない。しかし、本件では、請求人において秘密といえるようなニッカリンTの瓶を川へ投棄したとか、ニッカリンTを入れた竹筒を公民館内の囲炉裏で燃やしたとかの供述はあったが、ニッカリンTの瓶についは、投棄された場所が水流の比較的早いところであって、その付近には大小無数の岩石が点在していて、投棄された瓶は容易に下流に押し流され、あるいは岩石に当たって原形を止めないまでに破損することも考えられ、請求人が投棄したというニッカリンTの瓶が発見されなかったのもやむを得ない面があり、公民館の囲炉裏の中から採取した炭化物から、燐元素や有機燐化合物が検出されなかったのも、請求人が囲炉裏の中で竹筒を燃やした後もさかんに柴や薪が燃やされ、囲炉裏の火が火鉢に分け入れられて掻き回され、請求人が竹筒を囲炉裏で燃やしたと供述する前に囲炉裏の中の燃えがらや灰の一部が公民館の裏の畑に捨てられたりしているから、燐元素等が検出されなかったのもやむを得ない事情があるのである。このような事情のある本件では、秘密の暴露がなければ自白に信用性が認められないとはいえない。そのうえ、請求人がニッカリンTを入手した状況については、請求人が自白する以前に自発的に「本件事件発生の前年の夏ころ黒田敬一から購入した」旨供述したことから初めて明らかになったものであり、しかも、黒田敬一は、当初、請求人に右農薬を売ったことを否認していたが、請求人との対質により右事実を認めるに至ったものである(辻井前掲一三分冊四二五七丁以下)。これは、自己が犯人であることを否認している段階の供述ではあるが、本来自白の一環となり得る性格のものであって、捜査官がそれまで知らず、請求人の供述に基づく捜査の結果その真実であることが他の証拠により確認された事実を述べるものであり、これをもって自白自体に秘密の暴露があるというべきかどうかはともかく、自白の信用性を高めるものの一つといえるのである。

次に、自白に客観的な裏付けがないかどうかについて検討すると、請求人の捜査段階の自白以外の旧証拠によって、請求人の自白を裏付ける客観的な間接事実が数多く認められる。すなわち、次の事実が明らかである(原決定八六丁以下)。

① 本件は、死亡又は受傷した被害者らの死因等が農薬として用いられていた有機燐テップによる中毒と認められ、かつ、被害者ら全員が本件ぶどう酒を飲んでおり、本件ぶどう酒内から右有機燐テップが検出されたこと

② 本件事件発生前請求人方には有機燐テップ製剤の農薬ニッカリンTが保管されていたのに、本件事件発生後請求人方からなくなっていること

③ ニッカリンTを含め有機燐テップ製剤の農薬は、本件部落では請求人以外に使用したり、購入した者は見当らないこと

④ 本件ぶどう酒の製造過程や販売過程において本件ぶどう酒にテップ剤が混入する機会はなく、本件ぶどう酒にテップ剤が混入されたのはぶどう酒がJ方に到着した以後であると認められるところ、請求人は本件事件発生時の約三時間前ころ約一〇分間本件公民館内に、一人で本件ぶどう酒の側にいたから、右ぶどう酒に農薬を混入する機会があったこと、反面、他の関係者には右混入の機会があったことを窺わせるに足りる証拠がないこと

⑤ 請求人には、IやHに対する殺意(右両名以外の三奈の会女性会員に対しては未必の殺意)を抱くに足りる動機があったこと

⑥ 本件事件発生直後本件公民館内において請求人は他の男性会員が苦悶する女性会員の介抱に懸命になつている最中、一人だけ、呆然と俯いて座っていたため、他の多くの者からその態度を不審に思われていたこと

右の各間接事実が請求人の自白の有力な裏付けとなることはいうまでもない。

所論の中には、右の②、③の事実に関して、五・一一捜査報告書写し(原審記録七分冊一七九三丁)などを援用し、テップ剤は当時葛尾部落のある名張市及び奈良県山添村で広く流布しており、請求人がニッカリンTを購入していたことは請求人が本件の犯人であることを裏付けるものではないかのようにいう点がある。

たしかに、葛尾部落の近接地域において、相当数のテップ剤、ニッカリンTが出回っていたことが窺われるが、葛尾部落以外の者でぶどう酒がJ方に到着した以後これに近付いた者はなく、また、葛尾部落においては請求人以外の者がテップ剤を購入したり、入手したりしたことは認められないのであり(請求人四・八員面八分冊二二八三丁、中井やえ四・一六検面四分冊七四九丁以下、同人四・二七検面同分冊七六四丁以下等)、請求人がこれを購入しており、本件事件発生後これが請求人方からなくなっていることが、一つの状況証拠になり得ることは明らかである。

所論は、また、右②、③、④の事実に関し、本件証拠物であるニッカリンTの瓶(証九)のラベルの表示、当審提出の弁護人後藤潤一郎作成の報告書(補充意見書(その五)添付)等を援用し、請求人が購入して保管していたニッカリンTの色は赤色であったことが明らかであるところ、本件ぶどう酒の色はいわゆる「白」で無着色であったので、これに赤色のニッカリンTを混入するはずがないと考えられること及び飲み残しのぶどう酒や飲んだ者らの胃内容物などから赤色の色素が検出されていないことから、本件の犯人が使用した農薬は無着色であり、請求人が保管していたニッカリンTが本件で使用されたはずがないといい、当審において(補充意見書(その五)、平成三年一二月一三日打ち合わせ)、水五ccに赤色色素を溶かしたものを、市販の赤玉ポートワインの白ワイン一升瓶に入れる実験をし、白色透明のワインが赤みを帯び、瓶を振ったところ、全体が薄赤色を呈したことを有利に援用した。

たしかに、テップ製剤の農薬ニッカリンTは昭和三三年三月二六日付の登録以後「赤」に着色されていたこと、あるいは、前記報告書添付の農薬講座(昭和三五年九月初版)写しにも、ニッカリンTと同種農薬のテップは数個の農薬会社で販売しているが、テップは「赤紫」に着色した液体である旨記載されていることなどからすると、本件当時市販されていた物は、ほとんど赤着色されたものと推認できる。現に、昭和三六年四月八日ころ請求人に農薬「ニッカリンT」を販売した黒田敬一からこれと同一製造年月日の農薬として任意提出を受け、領置された「ニッカリンT」(証九)の色は「赤色」であることが認められるのであり(証九のラベルの表示、四分冊一一八〇丁以下、五分冊一四三六丁)、所論もいうように請求人が保管していたニッカリンTの色は証九と同じく「赤色」であったものと推認するのが相当であろう。

しかし、いかに、本件ぶどう酒の色が「白」であったとしても、混入した量は、一八〇〇ccに対しわずか四cc程度(0.2パーセント)であることからすると、ニッカリンTが「赤色」であっても、これが拡散して色が薄まるのではないかなどと考え得ることからすると混入するはずがないと決めつけることはできない。

ちなみに、一口に赤色といっても明度や彩度に幅があり、三重県警察本部刑事部鑑識課技術吏員萩野健児作成の実験結果回答書(六分冊一五二八丁、五月九日から一三日までの間に行った実験の報告。以下「実験」ということがある。)によれば、請求人が保管していたニッカリンTと同種と認められるニッカリンTの色は「桃紫色」と表現されているのである。そして、右回答書によると、本件ぶどう酒と同種のぶどう酒四〇ccに桃紫色のニッカリンT一cc(2.5パーセント)を加えて拡散性を実験したところ、ニッカリンTは白濁しながらぶどう酒中に拡散することが認められる。また、萩野作成の「ぶどう酒と有機燐殺虫剤とを混合した場合の色調及び濁度試験」(五分冊一四七八丁以下、五月一五日行った試験の報告。以下「試験」という。)によると、同種のぶどう酒にニッカリンTを一パーセント入れてもほとんど原色と変わらないことが認められる。更に、第一審第四回公判期日に実施された検証及び萩野の同期日における供述(七分冊一七一〇丁以下、一八一三丁以下)によると、自白に合わせて同種のぶどう酒一升瓶入りにニッカリンT(本件農薬と同一会社製の農薬)四ccを注入し、約二時間三四分後にその色調、芳香及び混濁度を、同種のぶどう酒と対照して調べたが変化がなかったことが認められる(七分冊一七一一丁)。

所論の中には、萩野の行った「試験」及び第一審第四回公判期日に行われた検証で用いられたニッカリンTは、昭和三三年三月二六日付で登録される以前の赤に着色されていないものであったと考えられるという点がある。しかし、「試験」及び検証で用いられたニッカリンTも「実験」で用いられたニッカリンTも同じ会社の製造にかかるものであること、「実験」及び「試験」をし、かつ、右検証に際してもニッカリンTの注入混和を担当し、同公判期日に証言している萩野は、資料として当時製造元から一〇本のニッカリンTを送ってもらってまとめて保管していたこと(七分冊一七八八丁)、検証に立ち会った弁護人が新しいニッカリンTで実験してもらいたい旨要望しており(七分冊一七八二丁)、その要望が入れられなかった状況は窺われないこと、なお、「実験」では「市販ニッカリンT(日本化学工業株式会社製)」と、「試験」では「当課保管のニッカリンT」とそれぞれ記載されているが、前示のとおり萩野はニッカリンTを一〇本まとめて製造元の日本化学工業株式会社から送付させ保管していたものであり、「試験」の中でも「市販ニッカリンT」との用語をも用いていること(七分冊一四七九丁)からして、「試験」及び検証で用いられたニッカリンTが昭和三三年三月二六日付で登録される以前の赤に着色されていないものであったとは認められない。

また、飲み残しのぶどう酒や飲んだ者らの胃内容物に赤色色素が存在することを明らかにする証拠はないが、その有無についての鑑定はなされていないのであるから、右のような証拠がないことが本件で用いられた物は請求人の保管していた赤色色素入りの物とは異なり、無着色の物であることを明らかにするとはいえない。

弁護人らが当審における実験において、ぶどう酒に混入した赤色水溶液は、①ニッカリンTと同一かつ同量の色素が溶けていたのか否か不明であること、②赤色色素だけを水に溶かしたもので、テップを主成分とするニッカリンTとは異なるものであることからいって、その実験の結果は証拠価値が乏しく、これを加えても前示「実験」、「試験」及び検証等に基づく判断を左右するとはいえない。

以上によると、犯人が使用した農薬が無着色であって、請求人が保管していたニッカリンTが本件で使用されたはずがないとはいえない。所論は採用できない。

その他、請求人は、いつもは、妻らと一緒に石切場に出掛けるのに、本件犯行の当日早朝は、一人でいつもより早めに出掛け、農薬の入った瓶を川に捨てたと自白しているが、白澤今朝造の供述(四・一六検面五分冊一三五一丁以下)により、請求人が事件当日いつもより早く、一人で石切場に到着したことが裏付けされているのである。

(2) 自白の具体的内容の合理性等について

確定判決は自白に沿う事実を認定し、原決定はそれを肯認しているところ、所論は、自白にかかる諸事情について不可解な変遷があり、また、内容に不自然、不合理があり、自白に信用性がないなどと主張する。以下、事項ごとに分節する。

ア 犯行の動機に関する供述について

請求人は、本件犯行の動機として、要旨次のとおり供述している。

すなわち、

請求人は、妻Iがあるのに三奈の会の女性会員Hと情交関係を結んでいたところ、このことが次第に部落民の噂となり、更に、昭和三五年一〇月二〇日ころの夜間にH方居宅付近の竹藪で請求人とHとがあいびきをした直後、付近の道路で請求人がHと二人連れで歩いているのをIに目撃され、その不信を買い、それ以来、二人の夫婦仲が悪くなり、ついにはIから離別すると言われるようになり、他方、HもIから請求人とHとの仲の件で責められたのみならず、部落の婦人たちから嫌味をいわれ、そのため、請求人に対し、今後関係を絶ちたい旨申し向けていたところ、請求人は、以上の三角関係の処置に窮し、ついに、IとHとを殺して右三角関係を一挙に清算しようと考えるに至り、三月二八日開催の三奈の会年次総会終了後の懇親会に出席する女性会員に提供されるぶどう酒に農薬ニッカリンTを混入すればIやHがそれを飲んで死亡するであろうし、その場合、その他の女性会員もそれを飲んで死亡するかもしれないが、IとHのみを殺したときは自分が直ぐ疑われるのに比して、懇親会の席上で多数の婦人が一緒に死亡したときは、直ぐに自分が殺人者と疑われることはないから、それもやむを得ないと考えた、というのである。

これに対し、所論は、次のような主張をする。

① 請求人とIとの不和が本件I殺人の動機であるにしては、その不和の程度が低く、不和の中身についての具体的な供述がされていない。むしろ、請求人は、三月一五日農協役員の旅行に参加した際Iのためにストッキングとコンパクトを土産に買ってきたりし、Iが三月一七日有馬温泉に旅行したとき、五〇〇円の小遣いを与え、Iはこれに対し、煙草ケースを土産に買っている。請求人はまた同じころHに対しても傘を買い与えたという事実があり、これらの事実は請求人が三角関係の処置に窮し、Iらの殺害を決意するに至ったこととは矛盾すると思われるし、請求人がもし真犯人であるならば、その自白調書には、三角関係の処置に窮して悩みながら、一方で右のような行為をしたことについての心理の説明があるはずであるのに、それが一切ないのは不可解である。

② 三角関係にある場合、その一方と別れるだけで三角関係は解消するのであるから、三角関係を清算するために、妻と愛人の双方を殺害するというのは、不自然、不合理である。また、請求人の自白にはHや他の三奈の会の婦人会員を殺害しなければならないような具体的な動機の供述がない、と。

しかし、

①について

請求人が妻IからHのことで責められ、離別を口にされ、喧嘩口論が絶えず、夫婦関係も拒否されるなどした旨Iとの仲が不和であったことについては、請求人の自白に具体的に表れており、不和の中身が抽象的であるとはいえない。また、三角関係の処置に窮していた請求人が、一方でその清算のためにIらに殺意を抱き、他方でIに旅行帰りの土産を買ってやったり、Iが旅行に行くのに小遣いを与えたり、Hに傘を買い与えたりしたとしても、それらの金品を贈る行為は日常の生活を表向き円滑に送ってゆくための在り来たりの行為であって殺意と両立し得ないものではなく、特にHについては未だ殺意が明確に生じていなかった時期でもあり、これが、特段不自然不可解なことということもできず、請求人が犯行を自白した際にそのような行為をしたことやそのときの心理について述べていないからといって、不可解というほどのものではない。

ちなみに、山田清松の四・一六検面(五分冊一三二七丁以下)によると、本件当日の石切場において、請求人がIらから手助けを求められたとき、Hの方を先に丁寧にしてやり、Iの方は後に、しかもぞんざいにしたので、Iが怒って請求人に対し、大声で文句を言い、請求人がこれに反発し、見かねた山田清松が未成年であるのにIをたしなめたなどの事実があったことが認められ、請求人とIとの緊張関係は本件当日他人の目の前においてすら露呈しているのである。

②について

請求人は、請求人がIからHのことで責められ、離別を口にされ、喧嘩口論が絶えず、Hからも関係を解消したいと言われ、双方から肉体関係を拒否される状態が一か月ほど続く状況下で、夜もろくろく眠れなくなり、Iの仕打ちに腹を立て、Iを殺害しようと考え、Iを殺害するのならば、いっそのことHも殺害して三角関係の清算を図ろうとした旨自白しているのであって、右のような経過により殺意を生ずることがあることは十分理解できるところである。また、I、H以外の三奈の会の婦人らは請求人が犯人であることを隠蔽するためには死んでもやむを得ないと考えたものであって、これも殺人の動機として不可解とはいえない。ここで三角関係の清算を図るという意味は三角関係から既に生じている三人の内での愛憎の葛藤、地域での評判等のもろもろの問題を一挙に解決するということであるから、所論のように、一方と別れれば三角関係は解消できるという理由で、三角関係を清算するためにIとHの双方を殺害するのは不自然、不合理とはいえない。

イ 殺意の発生時期等に関する供述について

所論は、殺意の発生時期等に関する供述が変遷していて不自然であるなどとしてるる主張する。

なるほど、Iに対する殺意の発生時期等について、最初の自白調書である四・二員面(第三回)(八分冊二二〇一丁)では、二月一五日の夜もIと喧嘩をし、二月二七日の夜も同じ原因でIと喧嘩をした。それで(そういう状況の中で)、Iが本当に嫌になり二月一八日ころからIを殺してやろうとひそかに考えていた、と供述し、その後は概ね三月一〇日ころに殺意を生じた旨供述しており、供述が変遷しているようである。しかし、この点は、最初の自白は、それまで自己の犯行を否認していたのを撤回して、初めて自己の犯行を認めたときのものであるから、時期について正確な供述をしていなかったか、記憶を十分整理していなかったと考えられ、概ね三月一〇日ころということで一致しているその後の供述は、Hとの性関係が二月二〇日ころ、Iとの関係が同月二五日ころを最後に途絶えたという事実があるから、これなどを思い出し、これとの関連で三月一〇日ころ殺意を生じたことを思い出したのではないかと考えられるのであって、右の変遷が不自然ということにはならない。

また、Hに対する殺意の発生時期等については、被告人の自白調書の全体を検討すると、要するに、まず、三月一〇日ころにIを殺害しようと考えるようになり、夜も眠れなくなるほど悩むうち、Hに対する殺意も芽生えてきたのであり、それが三月二〇日ころである(四・一四員面、八分冊二三三六丁)旨供述しているのである。最初の自白調書である四・二員面(第三回)(八分冊二二〇二丁)には、三月二七日に本件農薬を婦人用ぶどう酒の中に入れて二人を殺そうと計画した旨記載されていて、あたかもその日に殺意が生じたかのようであるが、それは、前記のようにまだ殺意を生じた時期について記憶を十分整理するなどしていなかったころの供述であるうえ、右は殺意が芽生えた最初のことを述べているのではなく、具体的かつ最終的な実行の方法、時期を犯行の前日に決意したことについて述べていると解されるのである。また、四・七員面には「この様な恐ろしい考えを持つようになったのは本年三月一〇日ころからであります。」と供述記載されている(八分冊二二五二丁)が、これは、その前に述べている内容や前後の関係からいって、本件の大量殺人の最初の契機であるIの殺害を考えるようになった時期を指していると解する余地があるのであって、所論のように、IとHを殺害することを同時に考え付いたことを前提に供述しているとは必ずしもいえないのである。したがって、Hに対する殺意の発生時期等に関する供述が変遷していて不自然、不可解ということはできない。

ウ 犯行の計画に関する供述について

所論は、次のようにいう。

すなわち、請求人は、犯行計画について、三奈の会総会で供される婦人会員用の飲物に本件農薬を投入すれば、酒好きな妻Iと愛人Hは確実に殺害でき、かつ、多数人の参集する機会であるため、誰がやったか分からなくなると考え、本件を計画したなどと自白している。しかし、①茶の消毒に使われる本件農薬を用いて殺人を実行すると、茶の栽培をしていた請求人が疑われるのは容易に分かったはずであるから、請求人が本件農薬を用いたのは不合理であり、②請求人が、当日婦人会員用の飲物として「ぶどう酒」が出されるとの予見を抱いてニッカリンT入りの竹筒を用意したとの証拠はなく、婦人会員用の飲物が何であるかについていかなる予見があったというのかあいまいであり、はっきりした予見もなく犯行の準備をするのは不合理であり、③右予見との関連で、ニッカリンTを何に投入しようとしたのかがあいまいな上、ニッカリンTを何時いかなる場面で投入しようと計画していたのかあいまいであり、特に多数人が集まってからでは人知れずニッカリンTを投入する機会はないはずであり、右予見に関する供述と右予見に基づくニッカリンT投入の機会の設定の計画に関する供述とが矛盾していて不合理であり、計画的な犯行とはいえず、更に、④ぶどう酒が出されるのを予見していなかった請求人がJ方でぶどう酒を発見したときの内心の驚きや安心なりについて、調書に記載がないのは不自然である、⑤妻から総会が開かれる日の情報を得た日に関する供述が変遷しているなどといい、自白の信用性が著しく減殺されているという。

よって、検討する。

本件殺人の計画、証拠隠滅工作についての請求人の自白の内容はあらまし次のとおりである。すなわち、三月二八日の夜開かれる三奈の会の懇親会席上に出される婦人が飲む酒などに、本件農薬を入れて、妻と愛人に飲ませてこれを殺す、一緒に飲んだ他の婦人らがついでに死亡してもやむを得ない、妻と愛人のみを殺害したときは自分がすぐ疑われるのに比して、懇親会の席上で多数の婦人が一緒に死亡したときは、直ぐに自分が殺人者として疑われることはない、そして、犯行前日に本件農薬を竹筒に分け入れ、犯行当日の朝本件農薬の瓶は川に捨て、犯行を実行した後、竹筒は囲炉裏で焼き捨てて証拠を隠滅する、というものである。

①について

請求人としては、警察に中毒死の原因が農薬であると分かると明確に予見していたかは不明であるし、分かったとしても、茶の栽培をしているのは請求人だけではないことから直ちに自分に疑いがかかるとは思っておらず、仮に疑いがかかっても、現に本件農薬を所持していなければ、証拠物がないことになるのであるから、言い逃れをすることができると考えることもあり得ることであって、本件農薬を用いたことが不合理であるとはいえない。

②について

所論のいうとおり、請求人は、三奈の会総会後に開催される懇親会に婦人会員用の飲物としてぶどう酒が出されるとのはっきりした予見を抱いて本件農薬入りの竹筒を用意するなどの準備行為をした旨の供述をしているわけではない。しかし、三・三一員面八分冊二一五一丁以下によると、請求人としては、例年ぶどう酒が婦人用として出されるとの認識でいたことが窺えるのであるから、その年は予算が足りず、ぶどう酒は出せないとIから聞いていたとしても、場合によっては、ぶどう酒が出されるかもしれないと考えることは十分にあり得ることである。そして、所論が主張する点を考慮しても、請求人は、男達が飲む酒とは区別された婦人達が飲む酒に本件農薬を混入する意思で右準備をしたことが認められるのであり、その婦人達が飲む酒を男達が飲む酒と区別するために、「日本酒に砂糖を入れた婦人用の酒」などと言ったものと認められる。その範囲で婦人達が飲む酒についての予見はもっていたといえるのであって、予見があいまいであるとはいえず、これに入れるために農薬を準備するのが不合理であるとはいえない。

③について

なるほど、請求人が、ぶどう酒ではなく、単なる「婦人用の酒」を予見していたとすると、所論のいうとおり、男性用の酒と婦人用の酒との区別ができるのは、総会が終り、懇親会の準備に取り掛かってからであり、そのときには周囲に多数の会員がいることが想定できるのであるから、これらに知られずに、竹筒を取り出し、その婦人用の酒に本件農薬を混入する機会を見つけるのは極めて困難であると考えられる。しかし、請求人としては、何らかのすきに入れる機会があるのではないかと考えており(四・一六検面八分冊二四二一丁)、また、何もその日の懇親会が唯一の機会と考えていたのではなく、その時にできなければ、別の機会を待つよりほかないと考えていた(四・三員面八分冊二二二八丁以下)というのであるから、予見した内容と投入の機会の設定の計画の間に矛盾があると決め付けることはできず、また、この困難にどのように対処するかが述べられていないからといって、それだけで自白の信用性が失われるわけではない。そして、いかなる場面でその機会が訪れるかについては白紙であったとしても、もともと犯行の細部に至るまで緻密に計算された犯行ではないのであるから、右のように実行を成行きにまかせて犯行に臨むことが不自然ということはできないし、その他の実行の準備や証拠物の隠滅などのことを考えるとそれなりに計画的であるといえるわけである。

④について

ぶどう酒が出されるのを確実には予見していなかった請求人がJ方でぶどう酒を発見したときの内心の驚きや安心なりについて、自白調書に記載はないけれども、自白調書には自白者の心の全てが吐露されていなければ信用性が担保されないというものではないから、そのことによって、特段自白の信用性が減殺されるわけでもない。

⑤について

初期の自白では、妻から総会が開かれる日について情報を得た日を、二〇日過ぎころ(四・三員面八分冊二二二二丁以下)とか同月二〇日ころ(四・七員面八分冊二二五三丁以下)とか述べており、また、後の自白(四・一四検面八分冊二三六八丁以下など)では、三月二六日に三奈の会の役員会に出席した妻から同二八日に総会が開かれ、その終了後に懇親会が開かれることを聞き、それでいよいよ実行に取り掛かることにした旨を述べているので、変遷しているように見えるけれども、いずれも、請求人が子牛を引取りに行った日であるというのであって、同一の日を指しているのであるから、日付の供述には実質的には変遷はないということができる。

その他にも、所論は、請求人が完全犯罪を目論んだ計画犯とするといかにもその見通しがあいまいすぎるとか、納得しがたい点があるとか、供述すべき点を供述していないとかるる主張するけれども、右は弁護人等が、請求人を冷静で知的に高度な犯罪者と前提した上で、主張するものというべきところ、請求人の計画や隠滅工作は前記の程度のものであって、それ以上のものではないのであり、それはそれで当時請求人が置かれていた状況や請求人の能力、性格等をもとに考慮すると請求人の自白内容はそれなりに理解できるものであるということができる。

エ 準備行為等に関する供述について

所論は、請求人が、犯行前日の夜、請求人方の風呂場の焚口の前で、竹筒を作り、その中に本件農薬を入れ、これを犯行当日ジャンパーのポケットに入れて運んだり、本件農薬の瓶を川に投棄したりなどしたという犯行の準備行為等に関し、その自白の内容に、種々の不自然、不合理があるとしてるる主張する。

よって、検討すると、主張にかかる事項について自白の内容が特段不自然、不合理でないとした原決定の判断を揺るがすような状況があるとは認められない。

ちなみに、請求人が右準備行為をしたという場所の照度については、司法警察員加藤菊次作成の「甲野太郎が女竹筒を製作したと自供する場所の照度報告について」と題する書面(二五分冊八二六九丁)等によれば、風呂場の焚口の戸を開き新聞紙に火を点け柴をたいて照度を測定したところ四ルクス、焚口の戸を約一センチメートル開けた状態で0.3ルクス、それを完全に閉鎖して0.1ルクスであったことが認められる。そして、控訴審における検証の結果(二一分冊六九一三丁以下)によれば、四ルクスあれば十分請求人の自白どおりの農薬注入が可能であり、それに至らない0.1ルクスの明るさでも全く不可能であるとはいえないことが認められる。すなわち、請求人が風呂を焚いていた右場所で右作業をするに際し、作業しやすいようにその照度を調節することは十分可能であったわけであり、原決定が判示しているように「右作業現場では右作業を行うのに支障のない程度の明るさであった」ことが明らかである。自白調書に、照度をいかにして調節したかについて何の説明をもしていないからといって、自白の信用性が損なわれるわけではない。

オ 開栓行為に関する供述について

所論は、本件で完全犯罪を狙った真犯人であれば、開栓した跡を残さないように工夫し、指紋や歯跡などを残さないように配慮するのが当然であるところ、請求人の自白には、完全犯罪を狙ったといいながら、そのような工夫や配慮をしたことに関する供述がなく、その形跡もないから、右自白には信用性がないなどとるる主張する。

たしかに、請求人の自白どおりの開栓をした場合には、耳付冠頭(王冠)や封緘紙がはずれたり、歯跡が残ったりして、後にぶどう酒の包装紙を開いた際などに、事前に開栓されたことを察知されて不審に思われ、また、後日に証拠を残すようなことになることを一応予想することができる。そして、自白では、請求人は、ぶどう酒瓶に付いていた耳付冠頭や封緘紙をはずしたまま金蓋(四ツ足替栓)だけ元の様にはめ込み、包装紙で包んで元の状態に戻したというのである。

しかし、請求人が本件犯行を計画的に実行したといっても、その計画の実際は前記ウの程度のものであることからすると、所論がるる主張するような工夫や配慮を請求人がせず、それに関する供述がないからといって、そのことが請求人の自白の信用性を左右するものとは考えられない。

カ 開栓、混入の機会に関する供述について

所論は、請求人がいかなる時期・機会に本件ぶどう酒を開栓し、これに本件農薬を混入したかは、本件犯行の最も重要な部分であるから、これら及びこれらに関連する請求人の供述が変遷し、あいまいな供述に終始しているのは不自然であり信用できないという。

しかし、本件犯行の実行の時期、機会としては、請求人が犯行現場である本件公民館内に一人でいた間に実行した旨一貫して自白しており、これが裏付けられていることはすでに説示したとおりである。請求人の自白が変遷しているといっても、それは、請求人が公民館内で一人になった経緯やその周辺の事実、すなわち、Eより先に公民館に入り、Eが入って来るまで一人だったというのか、それともEと一緒に公民館に来た後Eがいったん出ていったので一人になったというのか、あるいは、Eが所持していた物や請求人が公民館に到着したとき公民館の机が並べてあったか否かなどについて変遷があるというだけのことであって、前記のように公民館内の一人でいるときに本件犯行を実行したという点では一貫しており、開栓、混入の機会に関する供述にあいまいなところはないのであり、前記のような変遷があるからといって、請求人の自白に信用性がなくなるものではない(確定判決六〇丁参照)。また、請求人の自白の中に、第三者に犯行を見撃される危険についての配慮や公民館内に偶然一人になって犯行機会が急に訪れたことについての驚きや興奮が語られていないから不自然であるという点もあるが、自白によって認められる本件の実行行為自体はさほどの時間を要する行為でもなく、当時公民館内には請求人とEの二人しかおらず、そのうち一人がいなくなったので、このときとばかり急いで実行した旨の供述が不自然ということはできない。

キ 竹筒焼毀行為に関する供述について

所論は、請求人が、本件農薬を入れて運搬に用いた竹筒を、犯行後公民館の囲炉裏で燃やしたとする自白が真実であるならば、捜査の過程で、竹の燃え殼が発見され、囲炉裏の中の炭化物あるいは灰の中から燐元素あるいは有機燐化合物が検出され、それらが証拠として提出されなくてはならないのに、これがないのは自白の信用性を失わせるものであるという。

しかし、この点は、すでに説示しているとおりであるから((二)(1))、竹の燃え殼が発見されず、燐あるいは燐化合物が検出されなくても、請求人の自白の信用性が失なわれるものでないことは、明らかである。

ク 本件農薬の瓶の投棄行為に関する供述について

所論は、次のようにいう。すなわち、

請求人の自白では、本件犯行当日の朝、請求人が証拠を隠滅するために本件農薬の瓶を新聞紙に包んで川に捨てた際、瓶が「ふわふわと流れて行くのを見た」(四・二員面八分冊二二〇六丁)、「頭だけ浮いて一メートルくらい流れるのを見た」(四・一六検面八分冊二四一九丁)などとなっている。そこで、弁護人らは、請求人の自白どおりになるかを実験することにし、右農薬と同量の一〇〇cc入りの瓶に、請求人が竹筒に入れたと推認される約五ccを除いた九五ccの水を入れ、これを新聞紙で包む場合と包まない場合に分けて、請求人が投棄したという現場付近の川に投げあるいは落としてみたところ、いずれの場合も瓶は瞬時に水中に没したうえ、念のため、水を、五〇cc、三〇cc、空、と分けて入れ、流れのほとんどないところに落とす方法をとったところ、水量が約五〇ccで、瓶のままのときは直ちに水中に没し、水量が約五〇ccで、新聞紙に包んで入れたとき、瓶は一時浮いていたがまもなく水中に没し、水量が三〇ccで、瓶のままのとき、瓶の頭部のみが水面に出た状態になり、空瓶のときは、投入後一時的に水面下に没するが直ちに瓶が横になり浮いたにすぎないのであり、右自白は右実験の結果に照らして実際の体験に裏付けられていないことが明らかであり、信用性がない、という。

たしかに、請求人が当審に提出したビデオテープ(弁28)によると、ニッカリンTの瓶に類似する瓶を用いて右主張のとおりの実験結果が認められる。しかし、実験に用いた瓶が請求人の投棄したという瓶その物と完全に一致しているわけではなく、請求人の右自白自体、請求人が投棄した瓶の行方をじっくり追っていったうえでの供述とは認められず、瓶を投棄した後のほんの一瞬の事態をそれなりに表現したことが窺えるのであって、右表現が、実際の体験に基づかない疑いがあるとしても、それだけで、大きい岩石によってその度に方向を変える比較的早い流れの川中に(四・六見分二分冊二七二丁以下、四・一八見分二分冊二八三丁以下)、罪証を隠滅するために、ニッカリンTの瓶を投棄した旨の自白が信用できなくなるわけではないし、まして、諸々の間接事実により裏付けられている本件殺人を実行した旨の自白全体が、信用できなくなるわけではない。

ケ 農薬の色及びぶどう酒の変色に関する供述について

所論は、請求人が保有していた農薬「ニッカリンT」は赤色であったとし、一方、本件ぶどう酒の色はいわゆる「白」であったから、もし、白ぶどう酒に赤い農薬を混入するとすれば、それにより、ぶどう酒の色が変化するはずであるから、混入するに当っては大きなためらいが、混入してからはぶどう酒の色の変化したことについての大きな驚きなどがあったはずであるのに、請求人の自白には、その点に関する何等の供述もなく、あまりに不自然、不合理であるという。

たしかに、前記(二)(1)において検討したところによると、請求人が保管していたニッカリンTの色は「赤紫」あるいは「桃紫」系統の赤色であったと推認され、一方、本件ぶどう酒はいわゆる「白」であったから、白ぶどう酒に赤色の農薬を混入した場合、その農薬の色がそのままぶどう酒の中で広がるのならばこの色が目立ち、ぶどう酒が異常であることが一見して明らかになるであろうし、混入した犯人も、このことで驚き心配し、発覚の恐れを抱いたであろうと推認することができるし、請求人が犯人であるとすると自白した際にこの点について供述を残してもよいといえよう。

しかし、本件ぶどう酒が全くの白色、言い換えると無色透明であったとも明らかにはいえず、瓶にも若干の着色があったことが窺えるのである(証一号)。請求人の自白でも、請求人はニッカリンTを混入した後、直ぐに蓋をし、包装をして元通りにしたことが窺えるのであり(四・二員面八分冊二二一〇丁、四・三員面同二二三〇丁)、ぶどう酒の色が変色したかどうかを確かめるような余裕はなかったことが認められるのである。更に、前記(二)(1)のとおり、ニッカリンTの色は「桃紫色」であったが、本件ぶどう酒と同種のぶどう酒にニッカリンTを一パーセント入れても、ぶどう酒の色はほとんど変化しないことが明らかとなっている。

すなわち、所論は、本件ぶどう酒一八〇〇ccにニッカリンT四ccを混入すると、ニッカリンTの赤色色素でぶどう酒が目に見えて赤色に変色することを前提にしているが、その前提は認められないことが明らかである。

所論は採用できない。

コ その他

所論は、請求人が真犯人と仮定した場合、請求人の本件実行行為前の行動にはおよそ了解不可能あるいは不自然な点があるとして、種々主張するが、いずれも、了解可能なものであるか、その主張する行動自体が認定できないものかである。以下にその主な点について説明する。

① 三奈の会総会の準備を手伝うということでJ方に出掛ける直前に子牛に運動させていることについて

所論は、右行為は、直ぐ後に大量殺人を企図している真犯人が行うには余りにのんびりした行為で不自然であり、また、犯罪を企図している者は、通常、人目を避け他人と顔を合わせるような行動はとらないものであるところ、請求人の右行為は、あまりにも部落内で目立って不審に思われかねない行動であり、もし、逆に、犯罪を企図していないことを装うための行動であったのならば、そのことを説明する供述がなければならない、などという。

なるほど、請求人は、本件犯行当日、石切場の仕事を早目に切り上げ、自宅に帰ってから、道路上で前々日引き取ったばかりの子牛に二〇ないし三〇分間位タイヤを引かせて歩かせる運動をさせたと供述している(四・二員面(第三回)八分冊二二〇六丁以下、四・一四検面八分冊二三七二丁等、)し、これを目撃したという者もいる。

しかし、右行為は、引き取ったばかりの子牛に運動させるだけのことであって、当時の日常的な仕事の一つとしての認識しかなかったと推認することができるし、それをしたからといって、特に自らを人目にさらすことになるわけではなく、請求人はいずれにせよ当夜三奈の会で男女会員と顔を合わせることになっているのであって、これから実行しようとしている犯行の妨げになるような行為ではないし、右行為をする余裕があったのが不可解という状況でもないのである。また、右行為は犯罪を企図している者が実行するはずもないほど不審な行動とも、請求人の犯行の企図をカモフラージュするための行為ともいえない。要するに、所論は、独自の見解の下に請求人のごく普通の行動を真犯人としてはおかしい行動であると決め付けているにすぎないというべきである。

② 請求人は本件犯行の前日Hと逢引し、情交しているから請求人が犯人とするといかにも不自然である、という主張について

たしかに、請求人が真実本件犯行前日にもHと逢引して情交するような交際をしていたのであれば、請求人が本件の犯人であると認定するのは一応動機の点で問題となりうるであろう。

しかし、請求人の自白調書によると、請求人とHとの情交関係は二月二〇日頃で終わっているというのであって、所論の事実は、請求人が弁護人あての手紙や公判廷で供述するだけで、何等の裏付けもないのである。しかも、請求人は弁護人に昭和三六年五月一三日手渡した手紙(七分冊二一一二丁中の四枚目)の中で、Hとは犯行前日の三月二七日まで情交関係をした旨記載し、昭和四四年七月四日の被告人質問でもその旨供述しながら(控訴審第一四回公判二五分冊八〇八〇丁以下)、原審では、一方で、最後に肉体関係を持ったのはお彼岸の三月二〇日頃であると供述し(原審記録一五分冊四二五六丁)、他方で、犯行前日にもHと会い深い関係を持った、といいながら、実際はキスだけだった、自分はキスも肉体関係と思っていた、などと供述し(同四二八九丁)ているのであって、その供述は変遷し、内容も全く不自然であって、所論の前提事実は認められない。

所論は採用できない。

なお、所論の中には、右(二)(1)(2)の所論に基づき請求人の自白には任意性もないという点があるが、各所論が理由のないことは前記のとおりであって、所論は採用できない。

その他、所論にかんがみ、記録を精査して検討しても、請求人の自白の任意性、信用性に疑いを挾ませるような事実は認められない。

第三結論

よって、本件異議申立は、その理由がないから、刑訴法四二八条三項、四二六条一項により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 本吉邦夫 裁判官 前原捷一郎 裁判官 岡村稔)

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